ロルシュ文書での最初の記録と地名の意味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/05 08:49 UTC 版)
「キルヒャルト」の記事における「ロルシュ文書での最初の記録と地名の意味」の解説
キルヒャルトとその地区は、他のヴュルテンベルク北部やバーデン北部の街と同様、ロルシュ文書中に初めて、その名が記録されている。修道女エーギルラートが、villa Kyrih-Hart の農場とそれに付随する自由地を791年にロルシュ修道院に譲渡したという記録である。この村の名前は、元々農場の名前で、おそらく「森の教会」または「教会所有地の森」といった意味であろうと言われてきたが、「アカトビの住む森」という意味であるとの推測もなされている。ロルシュ文書には、現在のベルヴァンゲン地区についても793年の、ボックシャフト地区も829年の譲渡証明書にそれぞれ、最初の記録が遺されている。この地名につけられた villaという呼称は、キルヒャルトが、これらの入植地の最初に形成されたことを示している。当時のキルヒャルトの集落の中心地はかつてのベルヴァンゲンとの境界のすぐ北側にあり、キルヒャルトから南のベルヴァンゲン地区へ、さらにはビルケンバッハ川沿いにリーヒェン(エッピンゲンの市区)へと徐々に向かって入植地が広がっていったものと推測されている。 中世初期には、Hohe Straßeとよばれるハイルブロンとハイデルベルクを結ぶ道路が通っていた。このうちハイルブロンからジンスハイムまでは、おおむね現在の連邦道B39号線と同じ行程をたどっていたが、キルヒャルトは、この歴史的な街道から少し離れたクライヒガウの丘陵地周縁部に位置しており、農地や牧草地、オークの木の森が広がっていた。農業を専らとした住民たちは、何世紀もの間、畑を耕し、ブタを飼育していた。養豚業で重要な飼料がドングリであった。このため、1769年に採択されたキルヒャルトの紋章にはカシの実が描かれているのである。この町の名前は、13世紀から16世紀まではKirchart(他のスペルもある)、17世紀から18世紀には Kirhartと変わったが、19世紀の初めに Kirchardtで定着した。
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