ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争
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「ローマ・エトルリア戦争」の記事における「ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争」の解説
詳細は「フィデナエの戦い (紀元前8世紀)」を参照 詳細は「ウェイイとの戦い (紀元前8世紀)」を参照 紀元前8世紀、王政ローマの初代の王ロムルスの治世の時代、ローマの北方8kmに位置したエトルリア都市のフィデナエは、ローマを将来の脅威と考え、これを制圧することを決定し、その領土を荒らした。対するロムルスはフィデナエへ進軍し、街から1マイルのところに野営した。ロムルスは茂みに伏兵を配置し、自身は残りの兵を率いて城門に近づき、フィデナエ兵を挑発して出撃させようとした。ロムルスの兵の統制が取れていないと見たフィデナエ軍は出撃しローマ軍を追ったが、待ち受けていた伏兵に捕捉された。ロムルスも直ぐに向きを変え、フィデナエ軍を追って城門に迫った。フィデナエ兵とローマ兵が入り乱れていたために、フィデナエは城門を閉じることができず、ローマ軍は街に侵入しこれを占領した。 ウェイイ(ローマ北東16km)もまたエトルリアの重要な都市のひとつであったが、フィデナエの状況に不安を覚えた。フィデナエはウェイイの隣の都市であり、血縁関係を持つものも多かったからである。このためウェイイはローマ領土へ侵攻し、戦利品を持って街へ引き上げようとした。ロムルスとローマ軍はこれを急追し、城壁の外で戦闘となった。ローマ軍は勝利し、ウェイイ兵は街に逃げ込んだ。ローマ軍はウェイイを強襲する戦力は有していなかったため、代わりに周辺を略奪した。ウェイイは和平を提案し、領土の一部を割譲することを条件に、100年間友好となる平和条約を締結した。 紀元前7世紀にローマとフィデナエおよびウェイイとの間に再び戦争が起こるが、リウィウスはフィデナエをローマの植民都市と記述している。ロムルスの勝利の後、植民が行われたと思われる。
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