ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争とは? わかりやすく解説

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ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:38 UTC 版)

ローマ・エトルリア戦争」の記事における「ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争」の解説

詳細は「フィデナエの戦い (紀元前8世紀)」を参照 詳細は「ウェイイとの戦い (紀元前8世紀)」を参照 紀元前8世紀王政ローマ初代の王ロムルス治世時代ローマ北方8kmに位置したエトルリア都市フィデナエは、ローマ将来脅威考え、これを制圧することを決定し、その領土荒らした対すロムルスフィデナエ進軍し、街から1マイルところに野営したロムルス茂みに伏兵配置し自身残りの兵を率いて城門近づきフィデナエ兵を挑発して出撃させようとした。ロムルスの兵の統制取れていないと見たフィデナエ軍は出撃ローマ軍追ったが、待ち受けていた伏兵捕捉された。ロムルス直ぐに向き変えフィデナエ軍を追って城門迫ったフィデナエ兵とローマ兵が入り乱れていたために、フィデナエ城門閉じることができず、ローマ軍は街に侵入しこれを占領したウェイイローマ北東16km)もまたエトルリア重要な都市のひとつであったが、フィデナエ状況に不安を覚えたフィデナエウェイイの隣の都市であり、血縁関係を持つものも多かったからである。このためウェイイローマ領土侵攻し戦利品持って街へ引き上げようとした。ロムルスローマ軍はこれを急追し、城壁の外で戦闘となったローマ軍勝利しウェイイ兵は街に逃げ込んだローマ軍ウェイイ強襲する戦力有していなかったため、代わりに周辺略奪したウェイイ和平提案し領土一部割譲することを条件に、100年友好となる平和条約締結した紀元前7世紀ローマフィデナエおよびウェイイとの間に再び戦争が起こるが、リウィウスフィデナエローマ植民都市記述している。ロムルス勝利の後、植民が行われたと思われる

※この「ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争」の解説は、「ローマ・エトルリア戦争」の解説の一部です。
「ロムルスのフィデナエとウェイイに対する戦争」を含む「ローマ・エトルリア戦争」の記事については、「ローマ・エトルリア戦争」の概要を参照ください。

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