レール・モーター列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:01 UTC 版)
「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「レール・モーター列車」の解説
20世紀初頭の数年間は他の会社と同様冬場の支線、短距離列車における損失が懸念された。そのためロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)(L&SWR)と共同でフラットン駅(英語版) - イースト・サウスシー駅(英語版)間の支線1+1⁄4-マイル (2 km)にレールカー(英語版)を導入することが1903年6月に決められた。機関車と客車はL&SWRで製造されたが客車の1両にはLB&SCRのカラーリングで塗装がなされた。ただこのうち2両は慢性的な出力不足が判明し、ボイラーの交換が行われた。しかしこれらの車両を投入しても乗客の減少は止められず、1914年には支線が廃線となった。 それにもかかわらず、役員たちは主任機械技師のR・J・ビリントン(英語版)に対して利用客の少ない路線に投入する用の蒸気式またはガソリン式レールカー(英語版)について調査を依頼した。ビリントンは1904年に死亡したが、その翌年には後任のD・E・マーシュ(英語版)がベイヤー・ピーコック社から蒸気機関車2両、ディック・カー社(英語版)からガソリン車2両をそれぞれ購入した。これらの車両は「モーター・トレイン」に適した動力集中方式の小型機関車A1型やD1型と比較されたが、結局いずれのレールカーも冬から夏にかけての利用者数の増減に対応できず成功しなかった。それに対して「モーター・トレイン」は客車の数を調整することで対応が可能だった。結局それ以降も小型機関車がリースされ続け、郊外路線の電化以降も長年にわたり支線で使用され続けた。購入した蒸気式レールカーは1919年に売却され、ガソリン式レールカーはロンドン郊外路線を架空電車線方式で電化する際の作業車として使用された。 鉄道車両やモータートレインの実証試験中、旅客収入を増やすためにアラン・ヴァレー線(英語版)にはライオンズ・クロッシング停車場(英語版)やリトルヘイブン停車場(英語版)などの無人停車場が設置された。
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