レルシュタープ
レルシュタープ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 21:22 UTC 版)
「白鳥の歌 (シューベルト)」の記事における「レルシュタープ」の解説
ルートヴィヒ・レルシュタープの詩による7曲の歌曲は、もともとはシューベルトに作曲が依頼されたものではなく、実はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに依頼したものがベートーヴェンの死により、何らかの経緯でシューベルトにまわってきたものであった。 レルシュタープとベートーヴェンの間柄と言えば、一般にレルシュタープがベートーヴェンの没後に、ピアノソナタ第14番を『月光』と「命名した」ことが挙げられるが、実際にはそれ以前に「ルドラムスの巣窟」というウィーンの名だたる著名人の夕食会に、ともにその名を連ねている。ただし、実際に接触があったかどうかは定かではない。その後、時期ははっきりしないものの、レルシュタープは『白鳥の歌』に使われた7曲分を含む詩集をベートーヴェンに送り、歌曲の作曲を依頼した。ベートーヴェンが送られた詩に実際に目を通したどうかは不明であるが、間もなく1827年3月26日にその生涯を終えたため、レルシュタープの詩による歌曲は作曲されず、レルシュタープも送った詩集はそのまま埋もれてしまったと考えていた。 ところが、『白鳥の歌』が世に出た際、レルシュタープは自分がベートーヴェンに送ったはずの詩にシューベルトが作曲していることに驚く。さらに、ベートーヴェンの信の置けない秘書アントン・シンドラーからレルシュタープが詩に添えた添え書きを渡され、詩がベートーヴェンからシューベルトのもとに渡った経緯の説明を受けた。シンドラーの説明では、ベートーヴェンは詩を受け取ったものの健康状態が芳しくなかったため、シューベルトに作曲を委ねたというが、その真偽は全く不明である。ともかく、詩はシューベルトのもとにわたって、シューベルトはレルシュタープの詩による少なくとも8曲からなる歌曲集の成立を目指して作曲に取りかかった。しかし、実際に完成したのは『白鳥の歌』所収の7曲にとどまり、歌曲集のトップに据える予定であった『生きる勇気』D937 は未完成に終わった。『生きる勇気』が完成しなかったことは、『白鳥の歌』の構成に少なからぬ影響を与えることとなる。
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