レトロンヌ、ヒューウェル、フラマリオン
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「地球平面説という神話」の記事における「レトロンヌ、ヒューウェル、フラマリオン」の解説
アーヴィングの著書が出版されてすぐの1834年に、強く反宗教的思想を持った学者のジャン・アントワーヌ・レトロンヌが、教父やそれに続く中世のキリスト教徒は地球平面説を信じていたという間違った説を著書『教父の宇宙論』で公にした。また、1837年には、イギリスの科学哲学者 ウィリアム・ヒューウェルが著書『帰納的科学の歴史』(英:History of the Inductive Sciences)でラクタンティウス(245年-325年、コペルニクスにも『天球の回転について』で「地球は球形であると述べるものに対して子供のような反論の仕方をした」と嘲笑されている)およびコスマス・インディコプレウステース(547年から549年にかけて著書『キリスト教地誌』を書いた)という宇宙論史的に非常に重要度の低い二人に焦点を当てて持論を述べている。彼ら二人は中世に地球平面説が信じられた証拠であるとヒューウェルは主張し、ほかの歴史家もすぐに彼に従ったが、他に地球平面説が信じられた証拠を見つけ出すことはできなかった。 神座を見るために大地を覆う天空を突き抜けて自分の頭をつついている男が書かれている、上掲の広範に流布された版画は16世紀の画風を模倣して制作されているが、実際にはカミーユ・フラマリオンの『L'atmosphère: météorologie populaire』(Paris, 1888, p. 163) で初めて発表されたものである。この版画には「彼は大地と天空が交わる地平線に到達した」という中世の宣教師たちの教説が描かれている。元々はこの版画には装飾的な線が引かれており、その線から19世紀の作であることがわかる。しかし後に書かれた本では、この版画は16世紀にまでさかのぼるのだと主張する者もあらわれ、線は取り除かれた。逸話によれば、フラマリオンはこの版画を自分で注文したという。
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