レキップ L'Équipe
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 09:56 UTC 版)
「レキップ」の記事における「レキップ L'Équipe」の解説
1940年、デグランジュに代わってジャック・ゴーデが主筆となり、ツール・ド・フランスの名目上の主催者となった。彼は、大戦中にもレースを実施せよというドイツの要請を断っている( Tour de France during the Second World War 参照)。 ジャック・ゴーデは、ロト紙の初代財務部長ヴィクトル・ゴーデの息子に当たる。ゴーデは、フランス政府が起こした訴訟でロト紙を擁護したが、ドイツやその傀儡政権の主席フィリップ・ペタンに近かったのであれば、市民感情が無罪を許すはずはなかった。 しかしゴーデは、レジスタンス新聞やパンフレットの印刷のために、ロト紙の印刷室を秘密裏に使用していたことを指摘し、後継紙のレキップを発刊することを許可された。ロト紙があった場所の道路を挟んで向かいの建物が占拠された。実質の所有はロトのものであった。元の新聞の資産は、国家の一時差し押さえを受けた。国家に命令された出版条件の1つは、レキップ紙の発行に、ロト紙を連想させる黄色い新聞紙ではなく、白い新聞紙を使用することであった。 新しい新聞は、1946年2月28日を皮切りに、週3回のペースで発行された。1948年からは日刊紙になった。レキップ紙は、レラン ( L’Élan )、ル・スポル( Le Sport )各ライバル紙の廃刊に助けられた形となった。レキップ紙によるカーレースの報道記事では、「 L'Auto 」という単語をページのトップに印刷する際、戦前のロト紙の主タイトルに使われていたゴシック体で書くことで、その前身を暗示している。
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