レオ フライング クラウド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 07:43 UTC 版)
「レオ・モーター・カー・カンパニー」の記事における「レオ フライング クラウド」の解説
1920年代は、小説の世界でスコット・フィッツジェラルドが世間を風靡した。自動車業界では、1923年にネッド・ジョーダンがジョーダン・プレイボーイ車の宣伝のキャッチコピー『ララミーの西のどこかで("Somewhere West of Laramie")』で、休むことを知らない「失われた世代」の時流を捕らえ、その後の広告業界の考え方を変えた男とよばれるようになる。「フライング クラウド」は、同様のことを「その車名」で呼び起こした。「フライング クラウド」という車名は、それを聞いた人々に「スピードと軽さ」を思い起こさせた。それまでの車にはなかったもので、自動車業界が以降の車名のつけ方を変える、その端緒(たんちょ)となった画期的な車名だった。フォードがやっとT型を終了する頃で次の車種は「A型」だった時代である。スタイリングは、ファビオ・セガルディが手がけていた。絶対的な市場シェアの低さから1936年にはレオが乗用車生産から撤退し「フライング クラウド」も終了した。 また「フライング クラウド」は、飛行機で有名となるロッキード兄弟の一人マルコム・ロッキードが発明した内部拡張式(内拡式)ブレーキ("internal expanding brake system")を装備した車だった。(ロッキード式の初の使用は1921年のデューセンバーグA型。内部型のドラムブレーキの米国初は1902年にオールズ自身が、ビクトリアタイプのホースレスキャリッジですでにおこなっていた。これはスチール・バンドでドラムの外周を締め付ける外部収縮式だった。)
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