ルーム・セルジューク朝からの独立と崩御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:18 UTC 版)
「オスマン1世」の記事における「ルーム・セルジューク朝からの独立と崩御」の解説
1299年、カラ・スーの河谷を占領したのち、イェニシェヒルを占領した。ここで首都となるべき町を手に入れたオスマンはルーム・セルジューク朝から独立を宣言してオスマン帝国を築き上げたのである。 1302年、サカリヤ川が氾濫し東ローマ側の防衛ラインが一挙に崩れるとオスマン1世は領土拡大のため東ローマ帝国に攻め入りバフェウスの戦いでこれを破り、帝国の基礎と次代の繁栄を築き上げた。バフェウスの戦いの場所は諸説あり、マルマラ海沿岸という説とイズミトの北側の二つの説がある。 さらにサカリヤ川流域に沿いその勢力を拡大させて北はサカリヤ川、南は南西はマルマラ海を、1308年までに平定した。同年エーゲ海近くのエフェンスという町を攻略した。これ以降東ローマ帝国はオスマンらの勢力拡大に有効な対策を取れず、小アジアの防衛を放棄した。オスマンらが得た土地には東ローマ貴族から奪ったものもあれば、土地の売買や政略結婚を通じて平和的に得た土地もあったという。 1326年、ブルサへ進撃したオスマンはブルサ包囲戦 (en) の途中、もしくは攻略直後に崩御し、後を子のオルハンが継いだ。
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