ル・アルディ (駆逐艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 00:24 UTC 版)
ル・アルディ | |
---|---|
![]()
停泊中のル・アルディ
|
|
基本情報 | |
建造所 | ロアール造船所、ナント |
運用者 | ![]() |
艦種 | 駆逐艦 |
級名 | ル・アルディ級駆逐艦 |
艦歴 | |
起工 | 1936年5月20日 |
進水 | 1938年5月4日 |
竣工 | 1940年5月31日 |
就役 | 1939年12月1日 |
その後 | 1942年11月27日、自沈、イタリア海軍によって引き揚げ、ドイツ海軍に接収 1945年4月ジェノヴァで自沈 |
要目 | |
基準排水量 | 1,800トン |
満載排水量 | 2,577トン |
全長 | 117.2 m |
最大幅 | 11.1 m |
吃水 | 3.8 m |
主缶 | 強制循環ボイラー4基 |
主機 | 2軸推進 ギア式蒸気タービン2基 |
出力 | 58,000 hp |
最大速力 | 37ノット (69 km/h) |
航続距離 | 10ノット / 3,100 海里 (5,700 km) |
乗員 | 士官および下士官187名 |
兵装 | 130 mm連装砲×3基、37 mm AA連装砲×1基、13.2mm連装単三機関砲×2基、3連装魚雷発射管×1基、550 mm連装魚雷発射管×2基、8連装爆雷、1連装シュート |
ル・アルディ (Le Hardi) (意味:大胆な者)は1930年代後半にフランス海軍で建造されたル・アルディ級駆逐艦(torpilleur d'escadre)のネームシップである。ル・アルディは1940年半ばのナチス・ドイツのフランス侵攻中に完成し、フランスがドイツと休戦協定を結ぶ僅か数日前に最初の任務で未完成の戦艦をフランス保護領モロッコまで護衛した。9月ル・アルディはダカール沖海戦で主に煙幕を張り、小さな役割を果たした。7月、ル・アルディはフランス領アルジェリアでメルセルケビール海戦中にイギリス軍によって損傷した戦艦の1隻を護衛し、11月にフランスに帰還した。ル・アルディは1942年半ばに予備艦となった。
1942年11月、連合国がフランス領北アフリカに上陸した後、ドイツ軍がフランスを占領してフランス艦隊の接収を試みた際に拿捕を防ぐため自沈した駆逐艦の1隻となる。1943年にル・アルディはイタリア海軍に引き揚げられたが、9月にイタリアが休戦した後ドイツ軍に拿捕された。修理はされず、1945年にル・アルディはイタリアで自沈し、その後スクラップとなった。
建造と艦歴
1935年11月12日に発注され、1936年5月20日にル・アルディはナントにあるロアール造船所で起工された。ル・アルディは1938年5月4日に進水し、1939年12月1日に就役し、1940年5月31日に完成してその2日後に活動を開始した。ル・アルディは旅客船ヴィル・ドランをラ・パリスからフランス保護領モロッコのカサブランカまで護衛し、その後フランスのブレストへ航行した。6月19日、ル・アルディは姉妹艦エペ、マメルーキと共に未完成の戦艦ジャン・バールをサン・ナゼールからカサブランカまで護衛し、3日後そこに到着した。7月28日、ル・アルディとエペはフランス領西アフリカのダカールへ航海した。9月23日から25日にイギリス軍がダカールを攻撃する中、ル・アルディは軽巡洋艦ジョルジュ・レイグとモンカルムを守るため煙幕を張る任務を負い、イギリス船に60発発砲した。9月30日、ル・アルディはカサブランカへ向けてダカールを出港した。翌月、5隻のル・アルディ級駆逐艦はメルセルケビール海戦で損傷した戦艦プロヴァンスを護衛するためフランス領アルジェリアのオランへ派遣された。10月25日、ル・アルディはそこに到着した。11月5日に出港し、3日後にトゥーロンに到着した。この時、ル・アルディ級駆逐艦全てが第10駆逐隊(division de torpilleurs)に配属されたが、イタリアとドイツの休戦委員会が課した規則に従って3隻のみが活動が許された[1]。

7月3日から5日にかけてル・アルディは軍隊輸送船をフランス領アルジェリアのアルジェからマルセイユまで護衛した。8月18日、ル・アルディは公海艦隊(FHM)に配属された。11月1日にはラドロア(改名後のエペ)とマメルーキから成る第10駆逐隊の他の船も加わった。1942年11月27日、ドイツ軍がトゥーロンでフランス船の拿捕を試みた時、ル・アルディは自身の乗組員の手によって自沈した。1943年6月11日にイタリア軍がル・アルディを再浮揚し、FR37と再指定した。9月6日、ル・アルディはイタリアのジェノヴァに向けて曳航されながらトゥーロンを出港した。9月9日、イタリアの休戦後、道中のイタリアのサヴォーナでドイツ軍に拿捕された。修理はされず、1945年4月20日にル・アルディは自沈しその後スクラップとなった[2] 。
脚注
参考文献
- Chesneau, Roger, ed (1980). Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946. Greenwich, UK: Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-146-7
- Jordan, John & Moulin, Jean (2015). French Destroyers: Torpilleurs d'Escadre & Contre-Torpilleurs 1922–1956. Barnsley, UK: Seaforth Publishing. ISBN 978-1-84832-198-4
- Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2
- Whitley, M. J. (1988). Destroyers of World War Two: An International Encyclopedia. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-326-1
外部リンク
- ル・アルディ (駆逐艦)のページへのリンク