ルイスデロスサントス (内野手)とは? わかりやすく解説

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ルイス・デロスサントス (内野手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 13:42 UTC 版)

ルイス・デロスサントス
Luis de los Santos
台鋼ホークス 打撃コーチ #23
1986年
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地 サン・クリストバル州サン・クリストバル
生年月日 (1966-12-29) 1966年12月29日(58歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 1984年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB /1988年9月7日
CPBL /1994年3月15日
NPB /1997年4月4日
TML /1998年
KBO /2001年
最終出場 MLB /1991年5月28日
CPBL /1996年10月11日
NPB /1997年6月5日
TML /1999年
KBO /2001年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴

ルイス・マニュエル・デロスサントス・マルティネス(Luis Manuel de los Santos Martínez、1966年12月29日 - )は、ドミニカ共和国サン・クリストバル出身の元プロ野球選手内野手)。

読売ジャイアンツでの登録名は「ルイス」。

経歴

プロ入りとロイヤルズ時代

1984年のMLBドラフト2巡目でカンザスシティ・ロイヤルズに指名を受け契約。

1988年9月7日にメジャーデビュー。

ロイヤルズ退団後

1991年デトロイト・タイガースに移籍。

1992年メキシカンリーグでプレーした後、1993年にはフロリダ・マーリンズに移籍した。

台湾・兄弟時代

1994年から1996年までは、台湾中華職業棒球大聯盟兄弟エレファンツでプレー。1994年は最多安打、1995年は打点王と最多安打、1996年は首位打者と3年連続でタイトルを獲得し、ゴールデングラブ賞も受賞。3年間の通算打率は.361であった。

巨人時代

1996年に台湾球界出身のバルビーノ・ガルベスを獲得して成功した読売ジャイアンツは早くからルイスに目を付けており、シーズン終了後に監督の長嶋茂雄直々の入団テストを受けて巨人に入団。台湾での高打率から「台湾のイチロー」の異名で期待された。巨人はルイス獲得に伴い、主軸を務めていたシェーン・マックを解雇した(ルイス獲得の為だけではなく、当時ではマックの年俸は4億円でかなり高額だったという事情もある。ルイスの年俸は3000万円)。

台湾での3年間は三塁手で276試合に出場して62失策であったが、長嶋は「台湾でゴールデングラブ賞を獲っていたんです。私が言うんだから間違いありません」と守備面でも高く評価していた。だが、キャンプに入ると真正面のゴロを取るのすら覚束ないほどの守備難が露呈。エリック・ヒルマンが「安心して投げることができない」と批判すると、ルイスは「お前が三振に取ればいい」と言い放ったという。

このように守備に不安を抱えながらも1997年の開幕からしばらく三塁で先発出場していたが、拙守に加えて打撃でも精彩を欠き、鈍足の上に塁に出ても飛び出しや暴走でアウトになるなど走攻守全てにいいところがなく、5月からは後藤孝志にスタメンの座を譲る試合が増えていった。6月5日の対ヤクルトスワローズ戦では9回にその後藤の代打で出場したところ、解説の掛布雅之に「後藤君に打たせてあげてほしい」と言われる始末で、結局この打席で三振に倒れたのを最後に二軍落ちした。なお、ルイスがオープン戦で東京ドームのレフトスタンド中段に本塁打を打った際の掛布は「ホームラン30本は固いですね」とコメントしていた。その後は二度と昇格することなくシーズン終了を待たずに解雇され、退団した。

酷評された守備では、走者の有無に関係なく常に極端な前進姿勢を取っていたのが特徴的であった。また、狭い東京ドームを本拠地としていたにもかかわらず、放った本塁打も0本だった。

巨人退団後

1998年からは、台湾・台湾職業棒球大聯盟高屏雷公でプレー。巨人での不甲斐なさが嘘のように爆発し、首位打者・最多安打と打点王の三冠に加えてゴールデングラブ賞も獲得する。

2000年メキシカンリーグサルティーヨ・サラペメーカーズに入団し[1]、リーグ記録を52年ぶりに更新する36試合連続安打を放つなど大活躍した。2001年は、韓国ヘテ・タイガース(シーズン途中に起亜タイガースに球団名を変更)で、登録名サントス(산토스)としてプレーした。

2002年は、アメリカ独立リーグメキシカンリーグでプレーした。

2003年にイタリア・セリエAネットゥーノ・ベースボールクラブでプレーしたのを最後に現役を引退した。

現役引退後

2009年にメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンの監督を務めた[2]

その後はミルウォーキー・ブルワーズ傘下ルーキー級DSLブルワーズ英語版の打撃コーチを務めた[3][4]

2022年9月17日、翌2023年より台湾プロ野球に参入する台鋼ホークスの打撃コーチに就任することが発表された[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1988 KC 11 26 22 1 2 1 1 0 5 1 0 0 0 0 4 0 0 4 3 .091 .231 .227 .458
1989 28 92 87 6 22 3 1 0 27 6 0 0 0 0 5 0 0 14 2 .253 .293 .310 .604
1991 DET 16 32 30 1 5 2 0 0 7 0 0 0 0 0 2 0 0 4 2 .167 .219 .233 .452
1994 兄弟 90 369 349 54 125 29 0 14 196 64 1 3 1 1 18 6 0 37 8 .358 .389 .562 .950
1995 100 423 386 53 136 23 1 14 203 72 3 1 0 6 30 7 1 33 23 .352 .395 .526 .921
1996 92 393 355 65 133 26 2 22 229 75 2 1 0 2 36 7 0 63 9 .375 .430 .645 1.075
1997 巨人 39 124 114 7 27 6 1 0 35 14 0 0 0 2 8 0 0 15 3 .237 .282 .307 .589
1998 雷公 103 433 400 71 143 20 1 27 246 96 0 1 0 5 23 5 5 45 7 .358 .395 .615 1.010
1999 77 337 306 54 97 25 3 11 161 58 2 0 0 4 26 8 1 46 10 .317 .368 .526 .894
2001 ヘテ
起亜
130 541 484 74 150 19 0 26 247 107 1 0 1 9 46 8 1 66 17 .310 .364 .510 .874
MLB:3年 55 150 139 8 29 6 2 0 39 7 0 0 0 0 11 0 0 22 7 .209 .267 .281 .547
CPBL:3年 282 1185 1090 172 394 78 3 50 628 211 6 5 1 9 84 20 1 133 40 .361 .405 .576 .981
NPB:1年 39 124 114 7 27 6 1 0 35 14 0 0 0 2 8 0 0 15 3 .237 .282 .307 .589
TML:2年 180 770 706 125 240 45 4 38 407 154 2 1 0 9 49 13 6 91 17 .340 .383 .576 .960
KBO:1年 130 541 484 74 150 19 0 26 247 107 1 0 1 9 46 8 1 66 17 .310 .365 .510 .875
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ヘテ(ヘテ・タイガース)は、2001年途中に起亜(起亜タイガース)に球団名を変更

年度別守備成績



一塁(1B) 三塁(3B) 左翼(LF)




































1988 KC 5 31 1 0 3 1.000 - -
1989 27 203 16 3 23 .986 - -
1991 DET 2 2 0 0 0 1.000 2 0 1 1 0 .500 3 6 0 0 0 1.000
MLB 34 236 17 3 26 .988 2 0 1 1 0 .500 3 6 0 0 0 1.000

タイトル

CPBL
  • 最多安打:2回 (1994年、1995年)
  • 打点王:1回 (1995年)
  • 首位打者:1回 (1996年)
TML
  • 打点王:1回 (1998年)
  • 首位打者:1回 (1998年)

表彰

CPBL
  • ベストナイン:2回 (1994年、1995年)
TML
  • ベストナイン:2回 (1998年、1999年)

記録

NPB

背番号

  • 51 (1988年)
  • 9 (1989年)
  • 17 (1991年)
  • 23 (1994年 - 1996年、2022年 - )
  • 49 (1997年)
  • 10 (1998年 - 1999年)
  • 43 (2001年)

脚注

  1. ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=deloss002lui
  2. ^ 2009 Tabasco Olmecas - Coaching Staff”. The Baseball Cube. 2023年9月9日閲覧。
  3. ^ Brewers Announce 2016 Affiliate Coaching Staffs”. The Brewer Nation (2016年1月13日). 2023年9月9日閲覧。
  4. ^ Brewers Announce 2021 Player Development Staff”. Urban Milwaukee (2021年1月28日). 2023年9月9日閲覧。
  5. ^ 台鋼雄鷹「那個男人」揭曉 傳奇洋砲路易士加入教練團”. ETtoday運動雲 (2022年9月17日). 2023年9月9日閲覧。

関連項目

外部リンク




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