リージェンツ・パーク成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 00:33 UTC 版)
「リージェンツ・パーク」の記事における「リージェンツ・パーク成立」の解説
ポートランド公爵が保有する契約が1811年に切れると、時の摂政 (英語でRegent)で後の国王ジョージ4世と彼の顧問であるジョン・ナッシュがメリルボーン・パークを含むロンドン北部の改造に取りかかる。ナッシュは当初、この土地に摂政のための宮殿と彼の側近のための邸宅を建てることを構想したが、1818年実際に計画が実行段階になると宮殿建設は取りやめになり、建築する邸宅の数も減らされた。しかし、公園の周辺に建築が計画されたテラス式住宅群は当初の予定通り無事日の目を見た。この計画はただ一つの公園の改造話に留まらず、摂政の名を冠したリージェンツ・パークとリージェント・ストリートを核としたロンドンの大改造計画に発展したので、ナッシュがすべて細部まで計画したわけではない。例えば、ロンドンの文教地区ブルームズベリーの整備に尽力したJames Burtonとその若き息子Decimusも設計に参画している。リージェンツ・パークは整備計画が始まってから27年後の1845年完成し、当初は週に2日間だけ一般に公開されていた。
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