リトアニアの拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 10:12 UTC 版)
アルギルダスは単に己の力で成功したのではなく、モスクワやジョチ・ウルスの拡張の中で影響や領土を得て、リトアニア大公国の国境を黒海北岸まで広げた。アルギルダスの主な試みはキーエフ・ルーシ以来のスラヴ人の地の安全を目指したことである。息子のアンドリュスをプスコフ公とすることに成功し、またノヴゴロド共和国の市民の中の権力を握る少数派は、モスクワの影響力に対抗するためアルギルダスを支持して勢力バランスを取ろうとしていた。しかし通商の中心である両都市におけるアルギルダスの優先は不確かである。 アルギルダスは西方ルーシの重要な公国であるスモレンスクとブリャンスクを占領した。しかしモスクワとの関係は概して友好だった。正教徒である公妃との結婚は、いずれも失敗に終わった1368年と1372年のモスクワ包囲の障害にはならなかった。 アルギルダスの重要な功績は1362年に南ブク川における青水の戦いでジョチ・ウルスに勝利したことである。完膚なきまでに叩きのめされたジョチ・ウルスはより南方に移動することを余儀なくされ、後のクリミアとなる彼の地に本拠を築いた。
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