リップ、リグ&パニックとは? わかりやすく解説

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リップ、リグ&パニック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 08:19 UTC 版)

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リップ、リグ&パニック
ローランド・カークスタジオ・アルバム
リリース
録音 1965年1月13日 ニュージャージー州 ヴァン・ゲルダー・スタジオ[1][2]
ジャンル ジャズ
時間
レーベル ライムライト・レコード英語版
プロデュース ジャック・トレイシー
専門評論家によるレビュー
ローランド・カーク アルバム 年表
I Talk with the Spirits
(1965年)
リップ、リグ&パニック
(1965年)
スライトリー・ラテン
(1966年)
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リップ、リグ&パニック』(Rip, Rig & Panic)は、アメリカ合衆国ジャズ・ミュージシャン、ローランド・カーク1965年ライムライト・レコード英語版から発表したスタジオ・アルバム

背景

本作のタイトルに関して、カーク自身は「リップ」がリップ・ヴァン・ウィンクル(または「レスト・イン・ピース」?)、「リグ」が「死後硬直 (rigor mortis)みたいなもの」という意味で、眠っている者や心が硬直した者が、自分の音楽を聴きパニックに陥るのだと説明している[3]。「ノー・トニック・プレス」はレスター・ヤングに捧げられた曲で、「フロム・ベシェ、バイアス&ファッツ」はシドニー・ベシェ、ドン・バイアス、ファッツ・ウォーラーに捧げられた曲である[3]。なお、本作に参加したプレイヤーのうちエルヴィン・ジョーンズを除く3人は、1968年9月17日にプレスティッジ・レコードで録音されたジャッキー・バイアードのリーダー・アルバム『ザ・ジャッキー・バイアード・エクスペリエンス』でも共演している[2][3]

評価・影響

Thom Juerkはオールミュージックにおいて満点の5点を付け「カークが残した録音の中でも、最も畏敬すべきリズム・セクションとチームを組んだ」「カークと彼のカルテットは、音楽理論的な変化を何度も繰り返し、彼が当代の芸術家であることを明示している」と評している[4]。後にネナ・チェリーらが結成した「リップ・リグ&パニック」のバンド名は、本作から取られた[3][5]

収録曲

特記なき楽曲はローランド・カーク作。オリジナルLPでは1. - 4.がA面、5. - 7.がB面に収録された[1]

  1. ノー・トニック・プレス - "No Tonic Pres" - 4:34
  2. ワンス・イン・ア・ホワイル - "Once in a While" (Michael Edwards, Bud Green) - 4:02
  3. フロム・ベシェ、バイアス・アンド・ファッツ - "From Bechet, Byas and Fats" - 6:31
  4. ミスティカル・ドリーム - "Mystical Dream" - 2:39
  5. リップ、リグ&パニック - "Rip, Rig and Panic" - 7:00
  6. ブラック・ダイアモンド - "Black Diamond" (Milt Sealey) - 5:23
  7. スリッパリー、ヒッパリー、フリッパリー - "Slippery, Hippery, Flippery" - 4:55

参加ミュージシャン

脚注・出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b The Roland Kirk Quartet Featuring Elvin Jones – Rip, Rig & Panic (Vinyl, LP, Album) at Discogs
  2. ^ a b Roland Kirk Discography”. Jazz Discography Project. 2017年9月27日閲覧。
  3. ^ a b c d ジョン・クルース『ローランド・カーク伝 溢れ出る涙』林建紀訳、河出書房新社、2005年、47-48, 52-53。ISBN 4-309-26825-0
  4. ^ Jurek, Thom. “Rip, Rig and Panic - Rahsaan Roland Kirk”. AllMusic. 2017年9月27日閲覧。
  5. ^ Giannini, Melissa (2012年6月19日). “Cherrypicking With Neneh Cherry: Singer Breaks Down 7 Pivotal Tracks”. Spin. 2017年9月27日閲覧。

リップ・リグ&パニック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/25 18:40 UTC 版)

リップ・リグ&パニック
Rip Rig + Panic
出身地 イングランド ブリストル
ジャンル ポストパンク
活動期間 1980年 - 1983年
レーベル ヴァージン・レコード
共同作業者 ポップ・グループ
フロート・アップ・CP
旧メンバー ネナ・チェリー
アンディ・オリヴァー
ショーン・オリヴァー
ギャレス・セイガー
ブルース・スミス
マーク・スプリンガー

リップ・リグ&パニック[1]Rip Rig + Panic)は、1980年に結成されたイングランドポストパンク・バンドで[2]、1983年に解散した。このバンドは、ローランド・カークによる同名のジャズアルバムにちなんで名付けられている。ショーン・オリバー(ベース)、マーク・スプリンガー(ピアノ、サックス、ボーカル)、ギャレス・セイガー(ギター、サックス、キーボード、ボーカル、元ポップ・グループ)、ブルース・スミス(ドラム、パーカッション、元ポップ・グループ)、そしてシンガーのネナ・チェリーによって構成されていた[3]。その他のメンバーには、サックス奏者のフラッシュ(デヴィッド・ライト)、シンガーのアンディ・オリヴァー、トランペッターのデヴィッド・デ・フリーズ、ヴィオラ奏者のサラ・サルハンディなどがいた。

グループは、アバンギャルドな要素やジャズをミックスしつつ、チェリーの革新的なポップ/ソウルの歌唱スタイルが主導して、従来のポストパンクから脱却するものとなった。セカンド・アルバム『アイム・コールド』には、ジャズ・トランペッターのドン・チェリー(ネナ・チェリーの継父)をフィーチャーした多数の楽曲が含まれていた[4]。彼らはニコと一緒にBBCラジオ・セッションにも出演した。

略歴

リップ・リグ&パニックは、1980年にドラマーのブルース・スミスと、ギタリストでサックス奏者のギャレス・セイガー(前バンドのポップ・グループ解散後)と、マーク・スプリンガーによって結成された。1965年、新しく結成されたプロジェクトにローランド・カーク同名アルバムにちなんだ名前を付けたグループは、それまでのバンドの前衛的で政治的な傾向とは対照的に、フリー・ジャズレゲエのルーツを探求することを好んだ[5]。ポップ・グループと一緒にライブでパフォーマンスしていたピアニストのマーク・スプリンガーは、ライブでキーボード演奏やボーカルを提供することから、残る2人とのコラボレーションを開始した[6]。最終的に、ボーカリストのネナ・チェリーが加わり、続いてベーシストのショーン・オリヴァーが加わった。このラインナップは、1981年8月13日にシングル「Go!Go!Go!This Is It / The Ultimate in Fun(Is Going to the Disco with My Baby)」をリリースした。『NME』のギャヴィン・マーティン (Gavin Martin)は「リップ・リグ&パニックは、無秩序な浪費と独創的な商業的宣伝の間の微妙な境界線を踏み出しました」と語った[7]

バンドのデビュー・アルバムである『ゴッド』が、1981年9月3日にヴァージン・レコードからリリースされた。アルバムは、フリー・ジャズとフリー・インプロヴィゼーションを、ポストパンク、ファンクレゲエといった音楽と融合させていた。その音楽は、卓越した演奏と難解なユーモアのセンスによって『NME』から高い評価を得ており、レビューでは「騒動に対する信仰行為」と呼ばれている[7]。シングルの「Bob Hope Takes Risks」が11月27日に続いて発表された[8]。セカンド・アルバム『アイム・コールド』では、ジャズやワールドミュージックの影響をさらに取り入れながら、バンドはより商業的なサウンドへと向かっていった。このアルバムは、ボーカリストのアンディ・オリヴァーとジャズ・トランペッターのドン・チェリーの協力を得てレコーディングされた。バンドは、イギリスのホームコメディ『The Young Ones』にて、1982年のシングル「You're My Kind of Climate」を演奏するエピソードにゲスト出演した[9]。1983年のアルバム『アティテュード』は、シングル「Beat the Beast」と「Do the Tightrope」によってサポートされ、バンドの最後にして最も入り込みやすいアルバムとなった[10]

その後の流れ

リップ・リグ&パニックは、1985年にフロート・アップ・CPとなり、アルバム『キル・ミー・イン・ザ・モーニング』を制作したが、その後まもなく友好的に解散した[11]。チェリーは『スピン』誌とのインタビューでグループの終わりについてコメントした:「誰もが自分のことをやり、動き出す必要がありました。私たちが分裂したときのことをよく覚えていませんが、別のあふれ出したものの中にあふれ出すようなところがありました」[12]

バンドのメンバーはその後も音楽に関わり続けた。マーク・スプリンガーはソロ・アーティストとしてのレコーディングを続け、1984年にアルバム『ピアノ』でデビュー。その後、他にも多くのソロやコラボレーションによるプロジェクトが続き、自身のレコードレーベル「Exit」を設立している。ショーン・オリヴァーはテレンス・トレント・ダービーのセッション・ミュージシャンとなり、1987年のヒット曲「ウィッシング・ウェル」を共同で作曲した。彼は1990年に鎌状赤血球症により27歳で亡くなっている[13][14]。2010年に、セイガーとスミスは改変されたポップ・グループとのツアーとレコーディングを開始した。アンディ・オリヴァーは現在、イギリスでテレビやラジオのパーソナリティも務めるシェフとなっている[15]

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『ゴッド』 - God (1981年)
  • 『アイム・コールド』 - I Am Cold (1982年)
  • 『アティテュード』 - Attitude (1983年)
  • 『キル・ミー・イン・ザ・モーニング』 - Kill Me in the Morning (1985年) ※フロート・アップ・CP名義

脚注

  1. ^ リップ・リグ・アンド・パニック」の表記もある。
  2. ^ Laszlo, Skip (1982). “Rip Rig & Panic”. The Wire (2): 27. http://www.exacteditions.com/read/the-wire/winter-1982-3-(issue-2)-35676/3/3. 
  3. ^ Rip Rig & Panic”. Discogs. 2015年10月11日閲覧。
  4. ^ Neneh Cherry unearths footage of Rip, Rig And Panic with Don Cherry”. Wire. 2015年10月11日閲覧。
  5. ^ Reynolds, Simon (17 February 2006). Rip It Up and Start Again: Postpunk 1978-1984. Penguin Books. https://archive.org/details/ripitupstartagai00reyno 2016年1月30日閲覧。 
  6. ^ Buckley, Peter (2003). The Rough Guide to Rock. Rough Guides. p. 876. https://books.google.com/books?id=7ctjc6UWCm4C&dq 2016年1月30日閲覧。 
  7. ^ a b Gimarc, George (2005). Punk Diary: The Ultimate Trainspotter's Guide to Underground Rock, 1970-1982. Hal Leonard Corporation. p. 504. https://books.google.com/books?id=4WM6Cb1z-PwC&dq 2016年1月30日閲覧。 
  8. ^ Gimarc, George (2005). Punk Diary: The Ultimate Trainspotter's Guide to Underground Rock, 1970-1982. Hal Leonard Corporation. p. 728. https://books.google.com/books?id=4WM6Cb1z-PwC&dq 2016年1月30日閲覧。 
  9. ^ Rip Rig and Panic”. Bristol Archive Records. 2015年10月11日閲覧。
  10. ^ Isler, Scott; Sheridan, David (2007). “Rip Rig + Panic”. Trouser Press. https://trouserpress.com/reviews/rip-rig-panic/ 2016年1月30日閲覧。. 
  11. ^ Cameray, Bob (1986). “Easr Across the Water”. Spin 2 (1): 60. https://books.google.com/books?id=xdLsQBjl0-IC&pg=PA60&lpg=PA60&dq=Rip+Rig+%2B+Panic+Kill+Me+in+the+Morning&source=bl&ots=8LyGUegYng&sig=OGB4cp2FflE3FoSe0INNM3YDtAg&hl=en&sa=X&ved=0CE8Q6AEwCGoVChMI3daKtYC6yAIVibgUCh3d1wbu#v=onepage&q=Rip%20Rig%20%2B%20Panic%20Kill%20Me%20in%20the%20Morning&f=false. 
  12. ^ Gehr, Richard (24 February 2014). “Neneh Cherry Talks Her Weird Punk-Pop-Jazz Trajectory, and the New Blank Project. Spin. http://www.spin.com/2014/02/neneh-cherry-interview-blank-project/ 2016年1月30日閲覧。. 
  13. ^ Introducing The Hardline According To Terence Trent d'Arby”. Song Facts. 2018年8月28日閲覧。
  14. ^ The Rough Guide to Rock. Rough Guides. (2003). p. 1969. ISBN 9781858284576. https://archive.org/details/roughguidetorock0003unse. "Sean Oliver died in 1990 of sickle cell anaemia." 
  15. ^ Andi Oliver: 'I'm a black, middle-aged woman judging The Great British Menu - hooray!'”. Telegraph Media Group Limited (2017年4月25日). 2018年6月30日閲覧。

外部リンク




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