リチャード・ローティと反表象主義
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「ネオプラグマティズム」の記事における「リチャード・ローティと反表象主義」の解説
リチャード・ローティは、ジェームズ、デューイ、セラーズ、クワイン、クーン、ヴィトゲンシュタイン、デリダ、そしてハイデガーの影響を受けている。彼はこれらの哲学者の多くの著述に共通の含意を見出した。すなわち、これらの哲学者たちは、何らかの形で、私たちの言語は実在をいかなる意味でも表象していないというテーゼを打ち出そうとした、と彼は信じたのである。ローティが自身の哲学論文集第1巻の序論で述べるところによると、我々の言語は事物を正しく把握するためにあると位置づけられるべきではなく、我々が抱く信念は、世界に反応し適応するために用いられる習慣にすぎない、と信じられるべきである。ローティにとって、事物を「ありのままに(in themselves)」正しく理解することは、まったく意味がない(meaningless)わけではないとしても、端的に言って無用(useless)である。 1995年にローティは次のように書いている。「私はできる限り多くの言語論的転回以前の哲学者を言語化(linguisticize)する。その目的は、すべての形而上学的問題が解決され、宗教と科学が詩に場を譲る、そんなユートピアの預言者として彼らを読むためである」。『ローティとプラグマティズム:批判者に応答する哲学者(Rorty and Pragmatism: The Philosopher Responds to His Critics)』, edited by Herman J. Saatkamp (Nashville: Vanderbilt University Press, 1995). この「言語論的転回」戦略の目的は、古典的プラグマティズムに残存する、ローティが本質主義(「心理」、「実在」、「経験」)とみなす要素を除去することである。ローティは次のように述べる。 分析哲学は、言語に集中したおかげで、ジェームズとデューイ自身よりも、特定の決定的に重要なプラグマティズム的テーゼをよりよく擁護することができた。〔中略〕経験と自然との間ではなく、言語と言語以外の世界との間の関係に我々の注意を集中させることによって、ポスト実証主義的分析哲学は哲学的伝統をより根本的に打ち破ることができた。『チャールズ・S・パース協会会報第21巻(Transactions of the Charles S. Peirce Society 21)』, no. 1 (Winter 1985).
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