ラジオ全盛期の申し子として
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「宮地佑紀生」の記事における「ラジオ全盛期の申し子として」の解説
愛知県名古屋市中区大須生まれ。実家は緞帳屋だった。大須小学校、前津中学校と地元で育った生粋の名古屋っ子である。出身高校は、愛知高校。身長163cm。 愛知学院大学卒業後、専門学校東京デザイナー学院に入学。23歳で、アクセサリーショップ「参百六拾六日の店」を創業。25歳の時、当時の名鉄セブン社員による生CMに出演したのがきっかけで、東海ラジオのプロデューサー 塩瀬修充の誘いを受け、ラジオ パーソナリティとなる。タレント活動開始当初は『ミッドナイト東海』(月曜)『どんどん土曜大放送』などを担当した。『ミッドナイト東海』の宮地の起用に際しては東海ラジオの社内会議で反対の声があったが、塩瀬の尽力によって出演が決定した。 1976年、バンド「無有(むう)」を結成。「名古屋っ子」などの曲をリリースしたが全く売れなかった。かつては本名の「宮地由紀男」で活動していた時期もあるが、長女の誕生を機に改名している。
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