ラクダの調達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:32 UTC 版)
「アメリカ陸軍ラクダ部隊」の記事における「ラクダの調達」の解説
1855年6月4日、ウェイン少佐は、デイビッド・ディクソン・ポーター中尉の指揮するサプライ号でニューヨークを出港した。地中海に到着するとウェインとポーターはラクダの調達を開始した。チュニジア、マルタ、ギリシャ、トルコ、エジプトなどへ赴き、バクトリアン2頭、ドロメダリー29頭、ドロメダリーカーフ1頭、ブーギー(バクトリアン雄とドロメダリー雌の交配種)1頭の計33頭(雌19、雄14)を入手した。米国では購入が難しいと考え荷鞍とカバーも入手した。 1856年2月15日、サプライ号はテキサスに向けて出航した。 ポーターは、担当する動物の世話、水やり、餌について厳しい規則を定めた。ラクダが水なしでどのくらい生き残れるかについての実験は行われなかった。航海中、雄ラクダ1頭が死亡したが、2頭の子ラクダが生まれ旅を生き延びた。 1856年5月14日、34頭のラクダがテキサス州インディアノーラに到着した。ラクダは皆、船がアメリカに向けて出航したときよりも健康状態が良くなっていた。 デイヴィスの命令で、ポーターはさらにラクダを調達するためにエジプトへ再出航した。ポーターが2度目の航海をしている間、ウェインは1度目の航海で得たラクダをサンアントニオ経由でテキサス州キャンプ・ヴェルデへ行進させた。 1857年2月10日、サプライ号は41頭のラクダとともに帰還した。ポーターが2回目の使命を果たしている間、最初の群れから5頭のラクダが死亡した。 キャンプ・ヴェルデは公式にラクダ基地として指定され、新たに調達したラクダは、ここで最初の群れに加わった。陸軍は70頭のラクダを保有していた。 なおラクダ調達の際、ハイ・ジョリーを含む幾人かのラクダ使いも雇い入れていた。
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