ライプツィヒ再訪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 00:38 UTC 版)
「モーツァルトのベルリン旅行」の記事における「ライプツィヒ再訪」の解説
5月8日、一時的にライプツィヒへ戻ったモーツァルトは5月12日にゲヴァントハウスでコンサートを開いた。プログラムは彼の作品のみで構成され、2つのピアノ協奏曲(第18番 K.456と第25番 K.503)ヨーゼファ・ドゥシェックによるソプラノのための2つの場面(K.505とK.528)、ピアノのための幻想曲K.475、そして2曲の交響曲であるがこれらは同定されていない。当時の演奏習慣に従い、交響曲の1曲目は分割されてはじめの2楽章がコンサートの最初に、後の2楽章が休憩前に演奏された。 このコンサートは短い告知期間で開かれており、集客がよくなかったのは明らかである。モーツァルトは家に次のように書き送っている。「このコンサートは拍手と栄光の観点ではまったく素晴らしいものだっといえますが、実入りはさっぱりで散々です。」 ここまで行動を共にしてきたリヒノフスキー公は5月半ばにライプツィヒを出発してしまい、これ以降の旅はモーツァルト単独となった。モーツァルトがリヒノフスキーに借金をしたのはこの旅の途中であった可能性がある。借金の額は1415フローリンで、リヒノフスキーは1791年10月にこの借金を巡りモーツァルトに勝訴している。これはモーツァルトの死の直前であった。 モーツァルトは5月17日までライプツィヒに残っていた。そうした理由のひとつとしては、同じくこの街を訪ねていた友人たち(ヨハン・レオポルト・ノイマン、ノイマン夫人、ヨーゼファ・ドゥシェック)らの輪に留まっていたかったのだとコンスタンツェへの手紙で語られている。また、旅に使える馬の不足によっても出発が遅れていると伝えている。
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