ヨーク派の隊長
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「ウィリアム・ネヴィル (初代ケント伯爵)」の記事における「ヨーク派の隊長」の解説
1459年のラドフォードでの大敗の後、彼はウォリック伯がカレーの支配を取り戻す手伝いをしている。1460年6月、彼はヨーク派のイングランド侵略の足がかりにするために、サンドウィッチを攻略してそこを確保した。この港は橋頭堡として使用される事になっており、6月26日にはマーチ伯エドワード(ヨーク公リチャードの長男、後のエドワード4世)と ソールズベリー伯(彼の兄)とウォリック伯が合流してきた。 7月初旬までに彼らはロンドンにいて、7月3日に兵数1万人以上に膨れ上がったヨーク派軍は、フォーコンバーグによって指揮されて北進し、7月10日にノーサンプトンでヘンリー6世の軍と対戦した。ヨーク派陸軍は伝統に則って、フォーコンバーグ、マーチ伯エドワード、ウォリックによって指揮される「3軍」に分かれた。フォーコンバーグは攻撃の間に前衛(先行する軍)を指揮して、そして右翼軍を形成した。彼の勇敢さと背の低さは、ヨーク派のこんな歌に残っている。 「ちっちゃなフォーコンバーグ卿は、とっても偉大な騎士」 ノーサンプトンでの戦勝後、ウォリック伯はイングランドに残り、フォーコンバーグは代官としてカレーに戻っている。そのおかげでフォーコンバーグはウェイクフィールドの戦いと第2次セント・オールバーンズの戦いの大敗を免れた。彼は1461年の初めにイングランドに戻り、ロンドンで新たに戴冠したエドワード4世に合流した。3月11日、彼はヨーク派の前衛を率いて北進し、3月29日にはノーサンプトンの戦い同様にタウトンの戦いでも前衛として戦った。ここでの勝利が、ヨーク派の支配を確定的なものにした。
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