ヨットレース事業
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1997年以降、現在の経営者であるベルテッリはヨットの国際レースであるアメリカスカップへの挑戦を開始する。 2000年大会ではプラダ・チャレンジとしてアメリカスカップへの挑戦者決定戦ルイ・ヴィトンカップで優勝、アメリカスカップ本戦はチーム・ニュージーランドと対戦、史上初のアメリカチームが存在しない組み合わせで行われたが0 - 5で惨敗した。 2003年大会もプラダ・チャレンジとしてルイ・ヴィトンカップに挑戦するも準決勝で敗れる。 2007年大会ではルナロッサチャレンジとしてルイ・ヴィトンカップの決勝で敗れ、アメリカスカップへの挑戦目前で敗退。ベルテッリは2007年大会をもって挑戦を終了することを表明したため、結局アメリカスカップを手にすることは叶わなかった。なおこの挑戦期間中は、自らもクルーとして愛艇「ルナロッサ」号に乗り込むベルッテリの姿を海上で見かけることができた。 2012年、ベルテッリはアメリカ合衆国ロードアイランド州にあるアメリカスカップの殿堂にイタリア人としてはじめて殿堂入り。 2013年大会(第34回)ではルナ・ロッサ・チャレンジとしてルイ・ヴィトンカップ決勝を争うが敗退。 2017年大会(第35回)はルナ・ロッサ・チャレンジとしての参戦を表明するが、ヨットの統一規格への不満から途中撤退。 2021年大会(第36回)では、シンジケート名を「ルナ・ロッサ・プラダ・ピレリ・チーム」と改め参戦。それに加え、挑戦艇決定シリーズ(従来のルイ・ヴィトンカップ)の冠スポンサーとなり「プラダカップ」と名称を改めることとなった。プラダカップでは予選ラウンドロビン2位からの逆転優勝でアメリカスカップ本戦に進むが、防衛艇のチーム・ニュージーランドに3 - 7で敗れた。
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