ユノディエールとその分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:14 UTC 版)
「ル・マン24時間レース」の記事における「ユノディエールとその分割」の解説
ユノディエールは以前6kmに及ぶ直線であり、300 km/hで走っても1分以上かかった。最高速度が400km/hに近づき54秒ほどで走り切る車両が登場したが、非常に長い時間アクセルを踏みっぱなしにして猛烈なスピードで駆け抜けることになり、特に夜間は自車の前照灯だけが頼りとなる。 日本チームとして最初に参戦したシグマ・オートモーティブ(後のサード)の監督として赴いた加藤眞は走行車両を見て、マシンが悲鳴を上げているように思え、日本人ドライバーには事前に見せない方が無難ではないかという印象を持った。 WM・セカテバ・プジョーは成績よりもこのユノディエールの直線における最高速度に命をかけており、1988年に407km/hの公式記録を残している。しかし実際には計測されていないだけで400km/hを越えていたマシンが数多くあったといわれており、1989年には決勝走行中にメルセデス・ベンツのザウバー・C9が400km/hを記録した。 国際自動車スポーツ連盟(FISA、後の国際自動車連盟)は、安全性の観点から2km以上の直線を認めない旨のルールを作成し、ユノディエールを分割するよう圧力をかけた。フランス西部自動車クラブはこれこそル・マンの特徴であると主張し1989年はスポーツカーシリーズから外れて対抗したが、FISAは命令に従わなければ国際格式レースとして認めない旨を通告した。そのままではフランス国外からの参加ができなくなるためシケインを2つ挿入するコース改修がなされたが、工事完成は1990年のレース直前となり、2ヶ月前にFISAのコース査察を受けなければならなかったため、1990年もスポーツカーシリーズからは外れることとなった。
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