ユダヤ人居住区の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 15:26 UTC 版)
プラハにユダヤ人の存在が記録上はじめて確認されるのは960年代である。以降ユダヤ人商人がプラハに集まってきたことで10世紀末にはプラハにユダヤ人居住区が形成された。ユダヤ人居住区は第1回十字軍による破壊や大火による焼失を経て4度場所が変わった後、12世紀後半ころには今日「ヨゼフォフ」と呼ばれているヴルタヴァ川右岸の旧市街市場近くの地域に形成されることとなった。以降プラハのユダヤ人は近代までここで固まって暮らした。13世紀のヴァーツラフ1世の時代に分散的になっていたユダヤ人居住区が一つの街にまとめられていき、「ユダヤ人通り」 (Platea Judaeorum) と呼ばれる地域となった。さらに17世紀からは「プラハのゲットー」と呼ばれるようになった。そして18世紀末以降に「ヨゼフォフ」と呼ばれるようになった。 1270年頃には「旧新シナゴーグ」が建設された。このシナゴーグは孤立して建てられていたため、ゲットーでしばしば発生した火災にも巻き込まれず、今日まで現存している。「旧新」と呼ばれているのはこのシナゴーグが13世紀に建てられた部分と16世紀に建てられた部分の二つから成っているためである。旧新シナゴーグは現存するヨーロッパの最古のシナゴーグと言われている。この旧新シナゴーグにはラビ・レーヴのゴーレム伝説が残る。ラビが呪文を唱えると泥人形に魂が吹き込まれてゴーレムとなり、虐げられるユダヤ人を守るために夜な夜なプラハの街で暴れまわる。使命を終えたゴーレムは泥人形に戻り、今も旧新シナゴーグの屋根裏部屋で眠っているというものである。
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