モーリス・トランティニァン(フランス)
ドライバーとしてのキャリアは、1930年代末から60年代半ばまでという長きにわたった。48年、ベルンのスイスGPにおける事故で生死の境をさまよい、回復に長い時間を要したが、レースに復帰してからは2度と大きなクラッシュをすることはなく、高い完走率を誇った。50年代初期はゴルディーニ、54年にはフェラーリに迎え入れられて、同年のルマンで優勝。そのときのパートナーはフロイラン・ゴンザレスで、降りつづく雨のなか、ディスクブレーキを装着したジャガーDタイプと競り合っての勝利だった。また、沈着でマシンを壊さないドライビングから、先行車が脱落した場合にはしばしば上位を獲得した。55年(フェラーリ)58年(クーパー・クライマックス)のモナコGPでの優勝は、そうした例の代表である。56年にブガッティが製作したタイプ251を、ただ1度だけフランスGPで走らせたときのドライバーであったが、操縦性不良を理由に数周でレースを諦めている。
- モーリス・トランティニァンのページへのリンク