モータースポーツ分野における貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 06:21 UTC 版)
「シド・ワトキンス」の記事における「モータースポーツ分野における貢献」の解説
1978年、当時F1のブラバムチームでマネージャーの職に在るとともにFOCAの会長だったバーニー・エクレストンと知己を得て、F1の公式レースドクターの職を提示された。この申し出を受諾したワトキンスは、以後、レースドクターとして活動するようになる。 この当時は、モータースポーツの最高峰であるF1ですら救急医療体制は貧弱なもので、医師はレース専門ではなく各国ごとに雇う形で、設備の点でも場所によってはサーキット内の救急医療センターがテントしかなかったことすらあった、と、ワトキンスは後に述懐している。 ワトキンスは、26年間にわたってF1に関わり、それらの医療体制の改革を行い、F1のみならずモータースポーツ界全体の安全性向上に寄与した。 2004年1月20日、ワトキンスはレースの現場における仕事からの引退を表明した。当時のFIA会長マックス・モズレーは長年にわたってワトキンスを補佐してきたゲイリー・ハーシュタインを後任に指名した。 同年10月12日、ワトキンスはFIAの自動車の安全に関する財団(FIA Foundation for the Automobile and Society)の会長となり、12月10日にはFIAのモータースポーツ安全研究所(FIA Institure for Motor Sport Safety)の初代所長となった。このふたつの組織は、ともにFIAの創設100周年を記念して設立されたものである。 2011年12月8日のFIA年次総会をもってFIAモータースポーツ安全研究所の所長を引退、同研究所の名誉会長に就任した。 2012年9月12日、死去。84歳没。
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