モルダヴィアの言語で書かれた古い文献
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「モルドバの言語・民族性問題」の記事における「モルダヴィアの言語で書かれた古い文献」の解説
同様に、1643年にモルダヴィア公のヴァシレ・ルプ(Vasile Lupu)の財政的支援の下でモルダヴィア府主教・ヴァルラアム・モツォク(Varlaam Moţoc)によって宗教の書物が編纂された。この書物は、スラヴ語から翻訳された74の説教が収められ、「Carte Românească de Învăţătură」(ルーマニア語の教えの本)と題され、ルーマニア語で書かれた(pre limba Romeniască)ものとされている。ルプによる序文(Cuvânt)では、同書は「各地に住む全てのルーマニア人」のためのものであるとしている。この書は「ヴァルラアムの説教」とも呼ばれ、モルダヴィアで印刷され、ワラキアやトランシルヴァニアなどの周囲の諸国に住むルーマニア語話者にも普及した書物としては最古の部類に属する。16世紀から17世紀にかけて、トランシルヴァニアに住むハンガリー人はカルヴァン主義への傾倒を強め、1642年にはルーマニア語話者にもカルヴァン主義を広める目的で、彼らの著書をルーマニア語に翻訳した。これを知ったワラキアやモルダヴィアの主教たちはヤシに集まり、モルダヴィア府主教のヴァルラアムは1645年に「Răspuns la Catehismul calvinesc」を記した。これはトランシルヴァニアに住むルーマニア人の同胞に宛てたものであり、彼らを「トランシルヴァニアのキリスト教徒、正教の信者たち、そして我ら使徒継承教会の子どもたち、愛されるキリスト教徒、我らとともに単一のルーマニア民族に属する者たち、我らと信仰を同じくする者たち」と呼んでいる。 ヴァシレ・ルプ統治下のモルダヴィアの府主教・ドソフテイ(Dosoftei)が著した別の宗教の書物「Dumnezaiasca Liturghie」はルーマニア語で書かれている(tiparita româneste)。その導入部で、ルーマニア民族として協調し(Cuvânt depreuna catra semintia rumaneasca)、ドソフテイによりルーマニア語のためにこの書物を著す(acest dar limbii rumânesti)こと、そしてこれがギリシャ語から(de pre elineasca)、ルーマニア語に(pre limba rumâneasca)翻訳されたものであるとしている。しかし、ベッサラビアで執筆された宗教の書物では、その言語を「モルドヴァ語」としている。1819年にキシナウで印刷されたMenologiumでは、この書がスラヴ語からモルドヴァ語に翻訳された(тълмъчиндуль де пре лимба Словенѣскъ пре чѣ Молдовенѣскъ)としており、また1821年のtypiconでも同様に記されている(Сау тълмъчить Молдовенеще де пре чель Словенескь)。
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