モルダヴィア戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 07:28 UTC 版)
モルダヴィアへと引き下がったルーマニア軍と政府は、増員されたロシア軍の強固な防衛線の後ろに下がって抗戦を試みた。同盟軍はルーマニア軍に致命傷を与え、領土の多くを獲得した事で東部戦線の安定化を既に得ていた。またロシア軍も本土につながるモルダヴィアには本格的な戦力を投入していた為、両軍共に大きな動きは見られなくなった。 1917年後半、ロシア軍がケレンスキー攻勢で東部戦線の同盟軍に打撃を与えると、これに乗じてルーマニア軍も攻撃を敢行した。結果としてルーマニア軍はマラシュティとマラシェシュティという二つの戦いで同盟軍から戦術的な勝利を得ている。これはルーマニア軍にとって第一次世界大戦における数少ない勝利であり、戦局に然程の影響はなかったものの、ルーマニア軍の艦艇名に用いられるなど軍の誇りとされた。
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