モニター、バージニアと交戦する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 19:06 UTC 版)
「ハンプトン・ローズ海戦」の記事における「モニター、バージニアと交戦する」の解説
翌朝、すなわち1862年3月9日、困難な修理の後で、バージニアは座礁中のミネソタにとどめを刺すべく再出撃した。その旅程は新たに到着したモニター(後に南軍艦の指揮官によって「チーズ箱を載せた筏のような」と書き記される)によって阻止された。 戦闘が1時間、主に至近距離で行われたが決着はつかなかった。小型で敏捷なモニターはバージニアを翻弄できた。しかしどちらの艦も相手に致命傷を与えることができなかったのである。最終的に、「戦場」を占有したモニターおよび合衆国艦隊の残りをあとにしてバージニアが退却した。どちらの側も勝利を宣言した。戦術的な戦いは決着がつかなかったとは言え、戦略的にはバージニアは北軍の封鎖を除去できなかったし、戦略的バランスは北軍優位のまま変わらなかった。 二隻の艦がどちらも機能不全だったにしろ、モニターの砲はバージニアの砲と比べてかなり強力であった。バージニアが辛うじてモニターの装甲をへこませただけなのに対して、モニターはバージニアの装甲板に数ヶ所のひびを入れた。攻撃の際、モニターの砲術員は主に徹甲弾を使ってバージニアの上部構造を狙った。設計者エリクソンは、それを聞いた時に激怒して叫んだ。もし彼らが榴弾を使い吃水線を狙ったならば、バージニアは容易に沈んでいただろうに、と。(Ken Burnsのドキュメンタリー"The Civil War, episode 2: A Very Boody Affair: 1862"より引用。)
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