メディアと大衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 05:21 UTC 版)
かつて貧しい時代・地域に於いては、辻々に設置された街頭テレビは大衆に対する娯楽の提供を行った。後に一般家庭にもテレビが普及するようになると、それは教育の一端を担うと共に、「大衆の生産を行う装置」と見なされ、テレビの視聴を持って大衆と位置付ける者も見られる。 その一端には活字離れに対する危惧がある訳だが、近年では質の高い番組も増えた事から、文化的なメディアと位置付けられる場合もあり、一概にテレビ視聴を大衆の特徴と位置付けるケースは減っている。 しかし猥雑とされる放送内容も少なくないことも在り、今尚テレビ放送を目の仇にする教育関係者も見られ、同様の考えから視聴する側を長時間拘束しがちな他の娯楽メディアに対しても、一定の嫌悪感を表明するケースも見られる(一億総白痴化も参照)。 近代では漫画が、現代ではテレビゲームがその「大衆の消費するメディア」の槍玉に挙げられている。またこの他にも、写真週刊誌が下世話な好奇心を煽っているとして敵視されたが、イエロー・ジャーナリズムの類として社会に飽きられるのも早かったため、一過性の傾向に終わっている。
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