メッケルが日本に及ぼした影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:14 UTC 版)
「クレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケル」の記事における「メッケルが日本に及ぼした影響」の解説
メッケルが日本の戦略思想に与えた影響について、高山信武は以下のことを挙げている。 日本の活躍の場が大陸であるとして、大陸に兵を送った際の補給のための施策を提案。 渡河作戦用の舟艇を鉄製にすることを提案。最初は日本軍人から冷笑されたが、試作してみて効果が理解され、以後鉄製舟艇が採用された。 軍備・軍制の改革のため臨時陸軍制度審査委員会が作られたが、メッケルも顧問として参加し、諮問に応じた。これにもとづき、陸軍は歩兵操典を改正したが、メッケルの影響によりドイツ式運用を取り入れているところが多かった。 メッケルはしばしば参謀演習旅行を計画統裁したが、これは陸軍大学校の伝統行事となった。 包囲重視、緒戦必勝、兵站の重視、健兵養成、作戦及び精神力の強調、主動権の確保といったモルトケ継承の戦略思想を徹底したことで、日本の兵学に大きな影響を与えた。 東京青山の陸軍大学校の校庭には二つの胸像があったが、それはメッケルと石田保政のものだったという。
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