ムールトリー砦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 10:17 UTC 版)
「サリバンズアイランド (サウスカロライナ州)」の記事における「ムールトリー砦」の解説
アメリカ独立戦争中の1776年6月28日、イギリス軍北アメリカ総司令官ヘンリー・クリントン将軍の軍隊が、ピーター・パーカーの軍船マン・オブ・ウォーで渡って来て、島に攻撃を掛けた。ウィリアム・ムールトリー大佐が指揮する植民地軍が、まだ完工していなかった砦を守り抜いた。砦の壁は椰子の木で造られその間が砂で埋められていたので、イギリス軍の砲弾は効果が無かった。壁を越えてきた砲弾だけが多少の損失を与えた。 この戦闘中ムールトリーがデザインした旗が砦の上に翻っていた。それは暗青の生地に三日月が描かれ、「自由」という言葉が書かれていた。この旗が砲弾で撃ち落とされたときに、ウィリアム・ジャスパー軍曹がそれを拾い上げて高く掲げ、新しい掲揚台が設置されるまで兵士達を鼓舞し続けたとされている。この転換点となった戦闘の重要さ故に、この旗はサウスカロライナ、南部、およびアメリカ合衆国全体の自由のシンボルになった。 サリバン島の戦いは、その日の兵士を鼓舞するために使われたムールトリーの旗に白いヤシの木を追加し、サウスカロライナ州旗として記念されている。この勝利は毎年カロライナの日として祝われている。 島の歴史はムールトリー砦の歴史そのものであり、チャールストン市の防衛のために司令基地として使われていたが、1940年代後半に閉鎖された。
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