ムスタファ・ケマルの監察官への任命
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「ムスタファ・ケマルのサムスン上陸」の記事における「ムスタファ・ケマルの監察官への任命」の解説
この時期の全てのオスマン帝国の地域と同様、サムスンにおいても進駐軍とトルコの民衆の間で武力衝突が発生しはじめていた。これに対し、連合国はオスマン帝国に対しアーサー・カルソープ(英語版)の署名で最後通牒を発し、当該地域における混乱の解消を求め、さもなければムドロス休戦協定第7条を理由として当該地域の占領するであろうことを宣言した。当時の軍務大臣アブク・アフメト・パシャ(トルコ語版)と大宰相ダーマート・フェリト・パシャ(トルコ語版)は、混乱の解消任務においてはムスタファ・ケマルが適任であると判断し、ムスタファ・ケマル・パシャは、この任務をアブク・アフメト・パシャより知らされ、任務を受諾した。ケマルはこの会談の後、当時の参謀本部次長キャーズム・パシャ(トルコ語版)と面会し権限について話し合った。ムスタファ・ケマル・パシャは第9軍監察官に任命され、権限付与の勅令に署名が為された。さらに、ムスタファ・ケマルはこの勅令にあるいくつかの解釈をみずから書いた。勅令による視察官の任務と権限はおよそ次のようなものであった: 当該地域の秩序の回復と安定、事件の原因の調査。 当該地域で存在が言及されている武器と弾薬の回収とオスマン帝国の武器庫への収納と保護。 当該地域で活動中のトルコ人抵抗集団の解散。 さらに勅令で第3軍団(英語版) (サムスン)と第15軍団(英語版) (エルズルム)が第9軍監察官ムスタファ・ケマルに指揮下に入り、監督官の管轄地区に隣接するディヤール・ベクル(英語版) (ディヤルバクル)、ビトリス(英語版)、マァムレテュル・アズィーズ(英語版) (エラズー)、アンカラ(英語版)、カスタモヌ(英語版)の各県及び隣接地区に所在の各軍団も監察官の申し出に留意しなくてはならないことが定められた。この勅令により、第9軍監察官ムスタファ・ケマルはアナトリアの東部全域に命令を下すことができる地位についた。
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