ムザッファル1世の治世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 17:25 UTC 版)
「ラスール朝」の記事における「ムザッファル1世の治世」の解説
ムザッファル1世の治世はラスール朝における最盛期とされている。ムザッファル1世の初期の治世は、マンスール1世が放置していたティハーマと南イエメンの支配を再び確立することに費やされた。その後、ムザッファル1世は、北はヒジャーズ、東はハドラマウトまで支配し、さらに東にあり、乳香の産地として名高く海上交易ルートの重要な結節点としても栄えていたズファールに派兵した。当時のズファールはハブーディー朝と呼ばれる王朝の首都であった。ムザッファルは1279年の夏にズファールに侵攻を開始した。ハブーディー朝はスルターンであったサーリムのもとで激しく抵抗したが敗北し、サーリムは処刑された。こうした広域の支配を確立したことによりラスール朝は運輸・貿易における影響力を得た。インド洋やペルシア湾、中国の商人や有力者はラスール朝に相次いで使者を派遣して通商関係の強化に努めた。 ムザッファル1世の治世においてタイッズが新たにラスール朝の首都となった。
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