ミュー粒子の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:52 UTC 版)
「カール・デイヴィッド・アンダーソン」の記事における「ミュー粒子の発見」の解説
1936年、アンダーソンとその最初の指導学生であるセス・ネッダーマイヤーは、電子の207倍の質量を持ち、電子と同じ負の電荷とスピン1/2を持つ素粒子「ミュー粒子」を宇宙線の中から発見した。これは当初、湯川秀樹が強い相互作用の理論で提唱した中間子が検出されたものだと考えられ、「ミュー中間子」と呼ばれていた。しかし、それが中間子ではないことが明らかになると、理論物理学者のI・I・ラービが、この予想外の発見が素粒子物理学の論理的スキームにどのように適合するのか困惑し、「そんなもの、誰が注文したんだ?」と(同僚と中華料理店で食事中に)言ったという逸話がある。ミュー粒子は、長い歴史の中で発見された素粒子の最初のもので、当初は、整然とした概念図に当てはめることができず、理論物理学者たちを困惑させた。ウィリス・ラムは1955年のノーベル賞受賞講演で、「新しい素粒子の発見者は、かつてはノーベル賞で報われたが、現在ではそのような発見は1万ドルの罰金で罰せられるべきだ」という話を聞いたことがあると冗談を言っている。西島和彦とマレー・ゲルマンらによる、素粒子の新しい規則性(中野・西島・ゲルマンの法則)などによる解明が必要となった。
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