ミュージカル女優から声優の道に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:03 UTC 版)
「緒方恵美」の記事における「ミュージカル女優から声優の道に」の解説
しかしその後「やっぱり東京で芝居がしたい。ここにいてはダメだ」との思いに駆られ、親に内緒で大学を中退。実家に戻るが父親に怒られて家を追い出されたため、バイトで貯めていたお金で世田谷区南烏山(千歳烏山駅辺り)のアパートで貧乏生活を送った。 その後窮状を見かねた祖母が間に入ったことで、両親から「オペラを学ぶのならいい」との許しを得て、東京声専音楽学校(後の昭和音楽芸術学院)に通わせてもらうことが決まった。しかしここでも緒方は親に内緒で、オペラではなく新設されたミュージカル科に願書を提出。入学後はアパートを引っ越した後、バイトを掛け持ちしながらミュージカル女優を目指した。 同校卒業後に所属した劇団「ネヴァーランド」の最終公演準備に追われる中、休憩で占い喫茶に入った。そこで「半年後に大きな出会いがあり、2年後には大きなチャンスがある。それを絶対に逃さないように」と言われる。その半年後、青二塾に入塾し、さらに2年後の『幽☆遊☆白書』のオーディションで、「青二プロダクションの緒方です」と言った地声が「蔵馬だ!」と言われデビューが決定、まさに占い通りの結果になった。 声優デビュー直後はレギュラー番組が1、2本だったため、残りの日を演技や発声などのトレーニングに専念できた。しかし約半年後、声優専門雑誌が次々と創刊され、第3次声優ブームが起きたことで緒方を取り巻く状況が一変。その頃を境に月に10本以上のレギュラーの仕事を抱えるようになった。
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