マーク・デイヴィッド・チャップマン
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「ジョン・レノンの殺害」の記事における「マーク・デイヴィッド・チャップマン」の解説
詳細は「マーク・チャップマン」を参照 レノンがRKOラジオ・ネットワークのスタッフと共にリムジンに向かう途中、レノンのサインを求める人が数名近づいてきた。その中の1人に犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンがいた。このころ、ダコタ・ハウスの外でファンがレノンを待ち構え、サインをねだるという光景はよくあることだった。ハワイのホノルルから来た当時25歳の警備員チャップマンは、その年の10月にもレノンの殺害を実行するためニューヨークを訪れていたが、そのときは心変わりして帰郷したとのこと。チャップマンはレノンにアルバム『ダブル・ファンタジー』を無言で手渡し、レノンがそれにサインした。サインし終えたレノンが「君がほしいのはこれだけかい?」と尋ねると、チャップマンは笑顔で頷いた。写真家でレノンのファンでもあるポール・ゴレシュ(Paul Goresh)は、この瞬間を写真に収めている。この時レノンがサインした「ダブル・ファンタジー」は証拠品として警察に押収、後にオークションへ出品。1999年に15万ドルで売却された後、2010年に85万ドル、2017年には150万ドルで売りに出された。 チャップマンは、同日の午前中からダコタ・ハウスの外でレノンを待ち構えており、午後にはベビーシッターのヘレン・シーマン(Helen Seaman)と共に帰宅したレノンの息子のショーン(当時5歳)にも遭遇している。チャップマンによれば、彼はショーンの手を、ちょっとの間触ったという。 レノン夫妻は22時50分頃にダコタ・ハウスに戻るまで、数時間レコード・プラント・スタジオで過ごした。レノンは急遽ショーンにおやすみのあいさつをするために一旦ダコタ・ハウスに戻り、ヨーコとともに近くのレストランステージ・デリ(英語版)へ向かうことにした。レノンは長い時間待つファンに対し、誰にでもサインや写真撮影に応じていた。レノンは、2日前の1980年12月6日のBBCラジオ1でのインタビューで、DJのアンディー・ピーブルズ(英語版)に対し「みんなやって来てはサインをねだったり、'ハイ'とあいさつしたりするだけで、困るようなことをするわけじゃない」と話している。そのため、レノン夫妻はダコタ・ハウスのより安全な中庭でリムジンを停車させる代わりに、手前の72丁目(英語版)で車を降りた。
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