マークル事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:24 UTC 版)
「1908年のメジャーリーグベースボール」の記事における「マークル事件」の解説
この年9月23日、ペナントレース最終盤で首位のジャイアンツは本拠地ポロ・グラウンズでシカゴ・カブスを迎えた。この時点で残り4試合でジャイアンツが2位カブスに勝てば残り3試合はBクラスに低迷するボストン・ダブズ(後のブレーブス)で、ほぼジャイアンツが優勝を確実にできる大事な試合で、メジャーリーグ史上に残る事件が起こった。1対1で9回裏にジャイアンツは二死一・三塁のチャンスを迎え、一塁走者はフレッド・マークルで、この時にアル・ブリドウェルがセンター前にヒットを打ち、歓喜の中で三塁走者のムース・マコーミックがホームインして2対1でジャイアンツがサヨナラ勝ちした。しかし、一塁走者のフレッド・マークルは二塁に進塁するはずが二塁を踏むのを忘れたまま戻り、それを目ざとく見つけたシカゴ・カブスのジョニー・エバース二塁手が球を持って二塁を踏み、審判はフォースアウトを宣告して、三塁走者のホームインは取り消された。この時に歓喜したファンがグラウンドに流れ込んでいたため、収拾がつかず、審判員たちは日没引き分けとしたが、ナショナル・リーグはこの9月23日の試合を無効として改めて10月8日の最終日に再試合を行うこととなった。 そして予定していた試合が終わって、ジャイアンツとカブスは98勝55敗で共に並び、この再試合の最終戦が優勝決定戦になった。ポロ・グラウンズにそれまでで最も多い約3万人の観衆を集めたこの最終戦にジャイアンツは敗れ、シカゴ・カブスの優勝が決まりナショナル・リーグ3連覇となった。この試合は後に「マークルの超ボーンヘッド」として球史で語られることになったが、ジョン・マグロー監督はまだ若かったマークルを擁護し、マークルを使い続けた。後にマグローは「あの年に他に勝てた試合は1ダースもあった。そのうち1勝していれば優勝できた。それを棚上げしてマークルを責めるのは見当違いだ」と述べている。そしてマークルは1910年以降、ジャイアンツのレギュラー一塁手として活躍するようになった。
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