マレーシア独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 16:56 UTC 版)
「トゥンク・アブドゥル・ラーマン」の記事における「マレーシア独立」の解説
1954年、ロンドンにマラヤ独立のための使節団を派遣するが果実は実らなかった。1955年総選挙(マレーシア憲政史上初めての総選挙)において、UMNOは、MCAと連携することで、52議席中51議席をこの3党で独占する圧倒的な勝利を収める。1956年には、インド系住民を代表するMICもこのアライアンスに参加した。 1955年後半には、再度、マラヤ独立のための使節団をイギリスに派遣し、1957年8月31日がマラヤ連邦独立の日と決定した。独立記念日には、クアラルンプールに掲揚されていたイギリス国旗が降ろされ、ラーマンは、自由を叫ぶ群集を率いた。手を挙げるラーマンの写真と彼の感傷的ではあるが彼の群衆の歓声を呼ぶ決意を込めた音声の記録は、マラヤ独立の象徴となった。
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