ラーマン=陳平秘密会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:38 UTC 版)
「マラヤ共産党」の記事における「ラーマン=陳平秘密会談」の解説
1955年7月のマレーシアで最初の総選挙に際して、UMNOの党首ラーマンは共産党員の特赦を打ち出した。 同年5月のバンドン会議で周恩来から平和的交渉による問題解決について示唆を受けたMCPは、連盟党や他の政党に「特赦を受け入れる意思があるが、マラヤ各民族解放軍(MRLA)(英語版)は降伏しない」との信書を送った。 同年9月初旬、総選挙に勝利し、首相となったラーマンは、「特赦の方法を明確にするために」陳平と会うことに同意し、同年12月28日、バリンでジャングルから出てきた陳平と会談した。MCPの要求は条件付の停戦と、MCPの合法化だった。ラーマンはMCPの合法化を受け入れず、解党して党員が警察の取調べを受けることを求めて交渉は行き詰まり、両者は「連邦政府が治安と国防に関する自治権を獲得すれば停戦に合意し、武装放棄し軍を解散する」との共同声明を発表したが、交渉は物別れに終わった。 その後、1957年のマレーシア独立と前後してMCPは何度か連盟党に和平を提案したが、投降の意思が確認できないとしてラーマンは会談に応じなかった。
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