マルタ島征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:22 UTC 版)
「ルッジェーロ1世 (シチリア伯)」の記事における「マルタ島征服」の解説
詳細は「en:Norman invasion of Malta」を参照 1091年、北アフリカからのムスリムによるシチリア島攻撃を防ぐため、北アフリカのシチリアとの間に位置するマルタ島を征服を試み、艦隊と共にルッジェーロ自ら親征した。ルッジェーロの乗る船は艦隊のどの船よりも先にマルタ島に上陸し、マルタを統治するムスリム勢力のわずかな抵抗を打ち破り、翌日にはマルタの首都イムディーナに入城した。そしてマルタ島を統治していたムスリムのカーディーたちと協定締結の協議を行った。この協定によれば、マルタ島はルッジェーロ伯自身の属国となること、マルタ島はそれまで通りカーディーが統治することが取り決められた。またマルタ島で捕囚されていた多くのギリシャ人やキリスト教徒たちが解放された。彼らは自分達を解放したルッジェーロをen:Kyrie eleisonで褒め称え賛美した。マルタを征服し終えたルッジェーロは、彼と共にシチリアへ帰らんとする多くの人々と共に船に乗り込み帰国した。Geoffrey Malaterraによると、あまりに多くの人々がルッジェーロの船に乗り込んだため、彼の船団は沈没しかけるほどであったという 。ルッジェーロのマルタ島征服は、のちの時代に大幅に誇張されて伝えられ、マルタ島の旗はルッジェーロが自身の旗印の一部分(赤と白のマダラ模様の部分)をマルタ島民に与えたことが由来するという伝説が生まれた。マルタ島では、年に一度、マルタ島のキリスト教徒をムスリム支配から解放したルッジェーロ伯の功績を讃えミサがエムディーナ大聖堂で行われている[要出典]。
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