マルズバーン成立の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/29 03:43 UTC 版)
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マルズバーンの階級伝統(本来は、ヴァースプフラーン vāspuhrān とアーザーダーン āzādān という階級の伝統)は、ハハーマニシュ朝(紀元前550年-330年)に遡ることができるかもしれない。しかしながら、史料の不足から、パルティア帝国(紀元前247年-紀元224年)時代でさえも、階級がどのように分かれていたのかが判然としない。これに対してサーサーン朝時代に入ると、紀元3世紀から貴族階級が4ないし5層に分けられていたことが、王家の碑文を根拠にしてわかっている。いわゆる「シャー」を指すシャフルダーラーン šahrdārān (kings, landholders)、ヴァースプフラーン vāspuhrān (princes; the seven great noble families)、ウズルガーン wuzurgān (magnates; "great ones")、下級貴族アーザーダーン āzādān (feudal nobles; freemen)、カダグ=フワダーイ kadag-xwadāy (householders)の5層である。サーサーン朝の軍事組織は、パルティアから引き継いだシステムよりも洗練されていた。カースト制はインドのものより柔軟ではあったが、組織を支配監督する立場の者たちはほとんどがウズルガーン・カースト出身であった。後期サーサーン朝のマルズバーナーン(marzbānān)もまた、アーザーダーン(āzādān)に淵源がある可能性がある。アーザーダーンは、ほとんどの場合、村の領主(dihqānān)であって、馬に乗る若者、アスバーラーン(asbārān)に馬匹を供給する者たちであったが、中には王権との結びつきを意味するバンダガーン、アイヤーラーン、ジャーンバーザーン(bandagān, ayyārān or jānbāzān)といった称号を帯びて、王の護衛や警護を司る近衛であった者もいた。
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