マルコス・ゴメス・デ・アラウージョとは? わかりやすく解説

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マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 14:40 UTC 版)

マルキーニョス
名前
本名 マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ
Marcos Gomes de Araujo
愛称 マルキ
ラテン文字 MARQUINHOS
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1976-03-23) 1976年3月23日(49歳)
出身地 マットグロッソ・ド・スル州リオブリリャンテポルトガル語版
身長 176cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1997 オウレンセ 18 (2)
1997-1999 オペラリオ-PR 12 (10)
1999-2001 コリチーバ 62 (27)
2001-2004 東京ヴェルディ1969 29 (10)
2003 横浜F・マリノス (loan) 24 (8)
2004 ジェフユナイテッド市原 (loan) 14 (12)
2005-2006 清水エスパルス 43 (20)
2007-2010 鹿島アントラーズ 119 (59)
2011 ベガルタ仙台 1 (0)
2011 アトレチコ・ミネイロ 5 (1)
2012-2013 横浜F・マリノス 54 (26)
2014-2015 ヴィッセル神戸 49 (17)
通算 430 (192)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルキーニョス(MARQUINHOS)ことマルコス・ゴメス・デ・アラウージョ(Marcos Gomes de Araujo、1976年3月23日 - )は、ブラジルマットグロッソ・ド・スル州リオブリリャンテポルトガル語版出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

現役引退後は、総面積1700ヘクタール東京ドーム363個分)の牧場で2000頭のを飼育する牧場主となる[1]

Jリーグ外国籍選手最多得点記録保持者。

現在はブラジルでフッチボレーの選手としてプレーしている[2]

経歴

2001年シーズン中盤、J2降格の危機に瀕していた東京ヴェルディ1969に加入するために来日し、チームのJ1残留に貢献した。

2003年には横浜F・マリノス久保竜彦と2トップを組みリーグ優勝に貢献したが、安貞桓獲得に伴い構想外となり、2004年にはジェフユナイテッド市原でプレー。9月26日の柏レイソル戦で左アキレス腱を断裂という重傷を負い[3][4]、この年はそれ以降プレーの機会が無く退団して帰国した。

2005年8月、清水エスパルスに途中加入し、14試合9ゴールの成績を挙げてJ1残留に貢献した。

2007年から2010年まで鹿島アントラーズでプレーした。2008年は、来日8年目にして初の得点王に輝き、リーグ連覇を経験した。リーグ戦以外でも、3月12日のACLクルン・タイ・バンクFC戦では来日初のハットトリックを達成。8月6日のナビスコカップ清水エスパルス戦では来日公式戦100得点目を達成した。

2010年は3月6日のリーグ開幕戦浦和レッドダイヤモンズ戦で、来日通算10シーズン連続得点を達成したほか、4月24日の横浜FMとのリーグ戦で、史上5人目のJ1通算100得点を達成[5]。9月18日の大宮アルディージャとのリーグ戦では、自身のリーグ初ハットトリックを達成した。チームの若返り方針に伴いこの年限りで退団。

2011年ベガルタ仙台に完全移籍したが、東日本大震災の影響による精神的ショックを理由に4月9日に退団[6][7]。ブラジルのアトレチコ・ミネイロに移籍した。

2012年横浜F・マリノスに移籍。3月23日には第1子となる長男が誕生した。開幕前に腰痛で離脱したこともあり、GWまでリーグ戦では出場機会がなかったが、5月3日の浦和レッズ戦で後半27分より途中出場し、後半43分に決勝ゴールを挙げた。11月7日のヴィッセル神戸戦でシーズン二桁ゴールを達成。

2013年リーグ2節清水エスパルス戦でハットトリックを達成[8]。その後もシーズン途中に6試合連続得点をあげる[9] など、ベテランの多いチームで輝きを放った。シーズン終了後、契約満了となり横浜FMを退団した[10]

2014年ヴィッセル神戸へ移籍[11]。序盤から順調に得点を重ね、同年4月19日の対鹿島アントラーズ戦であげた得点が、2001年の来日以来J1通算140得点目となり、三浦知良の記録を抜いてJ1通算得点歴代二位となった[12]。同年J1第16節横浜F・マリノス戦にて、外国籍選手初のJ1リーグ戦300試合出場を達成した。

ところが、翌2015年に確執のあったネルシーニョが神戸の監督に就任したことでキャリアが一変する。鹿島在籍時、当時柏レイソルを率いていたネルシーニョは試合がエキサイトする中で「マルキーニョスを削れ」と柏の選手に指示し、これを聞いたマルキーニョスが憤慨してネルシーニョに詰め寄る事態があった[1]。それ以来両者の間には感情的なしこりが残っており、ネルシーニョは監督就任に際しマルキーニョスの退団を求めたという。それが叶わぬままシーズンが開幕すると、指揮官はわざと守備的なポジションで起用したり、突然試合の出場メンバーから外したりすることでマルキーニョスをいびり始めた。そんな中でも5月6日、J1リーグ1stステージ10節湘南ベルマーレ戦でリーグ通算150得点目を記録している。

2ndステージ5節サンフレッチェ広島戦は前半で3点リードされる展開であったが、ネルシーニョは交代枠を使い切ることなく結果0-4で大敗。ベンチ入りしていながら起用されなかったマルキーニョスが不信感を強める中、直後の中断期間に練習態度を巡り指揮官と衝突[13](但し、マルキーニョスは『監督の説明がそのままメディアに伝わったから。僕がいつも真面目に練習することは、誰でも知っている。監督と対立したのは事実だけど、それは彼がきっかけを作ったから。僕の退団を望み、無理となったらあからさまな嫌がらせを続けたからなんだ』と、あくまで半年に渡り公然と嫌がらせを講じてきたネルシーニョに非があるとする立場をとっている[1])。再開後全ての試合でメンバーから外れ、シーズンが終わる前の11月22日に帰国[14]。帰国時は「神戸を退団し国内他クラブへ移籍か」と報道され、実際に神戸との契約は2015年限りで満了となった[15]が、ネルシーニョとの衝突で『気持ちが折れてしまった』マルキーニョスは国内外いずれのクラブとも契約を結ぶことなく、現役を引退した[1]

2019年3月に発売された『月刊サッカーマガジン』のインタビューで、現在はフッチボレー(ビーチバレーのサッカー版)選手としてプレーしている事を明かしている[2]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997 オペラリオ-PR
1998
1999
1999 コリチーバ セリエA
2000 11 2
2001
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 東京V 33 J1 14 8 0 0 1 1 15 9
2002 9 15 2 5 1 0 0 20 3
2003 横浜FM 36 24 8 7 4 0 0 31 12
2004 市原 8 14 12 4 1 0 0 18 13
2005 清水 17 14 9 0 0 2 2 16 11
2006 29 11 5 3 1 2 35 16
2007 鹿島 18 31 14 10 4 5 0 46 18
2008 30 21 2 1 2 2 34 24
2009 31 13 2 0 3 1 36 14
2010 27 11 2 1 1 1 30 13
2011 仙台 1 0 - - 1 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2011 アトレチコ-MG セリエA 5 1 - - 5 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 横浜FM 18 J1 22 10 2 0 4 1 28 11
2013 32 16 9 7 2 3 43 26
2014 神戸 34 14 5 2 1 0 40 16
2015 15 3 3 0 0 0 18 3
通算 ブラジル
日本 J1 333 152 56 24 22 13 411 189
総通算

その他の公式戦

  • 2008年
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合1得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合1得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC AFC CL
2008 鹿島 18 5 5
2009 7 4
2010 6 2
通算 AFC 18 11

タイトル

横浜F・マリノス
鹿島アントラーズ
個人

脚注

  1. ^ a b c d 「“不仲、干されて引退”は事実…じつは昔から」J外国人最多152ゴール名FWと“名将の確執”「あの件で気持ちが折れた」なぜブラジル人同士が? Sports Graphic Number(沢田啓明)2025年4月18日、同日閲覧
  2. ^ a b 『月刊サッカーマガジン』2019年05月号より
  3. ^ オシム監督の試合後のコメント - ジェフユナイテッド市原公式
  4. ^ J1-2nd:第8節 市原 vs 浦和 レポート - J's GOALニュース
  5. ^ 2010Jリーグディビジョン1 第8節  マルキーニョス 選手(鹿島)J1通算100得点達成!”. Jリーグ (2010年4月24日). 2013年9月21日閲覧。
  6. ^ マルキーニョス選手 契約解除のお知らせ ベガルタ仙台 2011.04.09
  7. ^ J1仙台・マルキーニョス退団 震災で精神的ショック 河北新報 2011.4.10付記事 (アーカイヴ)
  8. ^ 2013Jリーグディビジョン1 第2節 マルキーニョス 選手(横浜FM)ハットトリック達成 Jリーグ公式サイト
  9. ^ 【J1:第20節 横浜FM vs 鳥栖】レポート:マルキーニョスの6試合連続弾で横浜FMが2連勝。鳥栖は注目の豊田が沈黙し2連敗(13.08.11) J's GOALニュース
  10. ^ マルキーニョス選手 退団のお知らせ 横浜F・マリノス公式サイト
  11. ^ 横浜F・マリノスよりFWマルキーニョス選手 完全移籍加入のお知らせ ヴィッセル神戸公式サイト
  12. ^ 神戸 逆転4連勝で暫定首位!マルキ“カズ超え”J1通算140得点 Sponichi Annex
  13. ^ 神戸 マルキーニョス退団か…指揮官と衝突、練習に姿なし スポーツニッポン
  14. ^ J1神戸のマルキーニョス退団へ 国内チーム移籍か 神戸新聞NEXT
  15. ^ FW、マルキーニョス選手 契約満了のお知らせ ヴィッセル神戸公式サイト

関連項目

外部リンク






固有名詞の分類

ブラジルのサッカー選手 ダヴィ・ロドリゲス・デ・ジェズス  ペレ  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  フィリペ・ルイス・カスミルスキ  バウデシー・バジーリオ・ダ・シウバ
ベガルタ仙台の選手 平聡  秋葉竜児  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  小原章吾  レイナルド・ゴンサルヴェス・フェリックス
東京ヴェルディ1969の選手 萩村滋則  エルサムニー・オサマ  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  バウデシー・バジーリオ・ダ・シウバ  室拓哉
清水エスパルスの選手 野澤洋輔  武田洋平  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  平岡直起  津田和樹
横浜F・マリノスの選手 後藤裕司  マルセロ・リパティン・ロペス  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  小原章吾  佐藤一樹
鹿島アントラーズの選手 山口武士  中嶋譲  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  西澤淳二  羽田憲司
ジェフユナイテッド市原の選手 ウィントン・ルーファー  坂本將貴  マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ  眞中幹夫  下川健一

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