マッターホルン初登頂下山時の事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 03:43 UTC 版)
「クライミングロープ」の記事における「マッターホルン初登頂下山時の事故」の解説
この事故はクライミングロープが切れて起きた遭難の中で最も有名なものである。1865年7月14日エドワード・ウィンパー隊は客がウィンパー、チャールズ・ハドスン(英語版)、フランシス・ダグラス卿(英語版)、ダグラス・ロバート・ハドウ(英語版)の4人、ガイドがミシェル・クロ(英語版)、ペーター・タウクヴァルター(英語版)父子の3人、計7人でマッターホルンに初登頂した。この隊はマッターホルンの初登頂には情熱を持っていたが登山直前に編成された即席混成パーティーであった。この登山にウィンパーは自ら最も信頼する英国山岳会公認のマニラアサ製「アルパイン・クラブ・ロープ」100 ftを2本持参していた。しかしその他に手がかりや足場の乏しい難所に遭遇した時に岩に結び補助的な固定ロープとして使うために窓開閉用の太いロープを1本持ち込んでいた。ウィンパーとしては一人ずつ静かにぶら下がるだけなら充分耐える、という考えであったが、ガイドのタウクヴァルター(父)はウィンパーの意図を知らされずアンザイレン用に使った。 難所に差し掛かった時7人は3本のザイルで完全に一組みになっており、同時に行動していた。先頭から2人目だったハドウがスリップしすぐ下にいたクロの背後を突き、この2人の荷重でハドスンとダグラスが引きずり落とされた。次にいたタウクヴァルター(父)は大きな衝撃を受けたものの幸い安定した場所におりとっさに岩にしがみついて確保に成功したが、タウクヴァルター(父)の前でロープは切れ、4人はマッターホルン氷河目がけ北壁を落差にして1,000 m以上滑落し死亡した。ツェルマットでは一時「タウクヴァルター(父)が故意にロープを切ったのではないか」などという噂も流れ、政府は査問委員会を開いてウィンパーとタウクヴァルター(父)に審問した。
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