マックボンボン結成、消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:48 UTC 版)
「志村けん」の記事における「マックボンボン結成、消滅」の解説
1972年、22歳の時に井山淳とお笑いコンビ・「マックボンボン」を結成し、「志村健」の芸名で芸能界デビュー。井山のボケに対して、志村が立ったままの姿勢から足で顔面にツッコミを入れるなど、身体を張ったネタを披露し、歌謡ショーの前座として人気を獲得していく。動いて笑わす野球のネタや、ゴールデンハーフのネタ、高齢者向けに雲の上団五郎一座のお富さんなどを前座で披露している。年齢によって内容を変え何があっても客のせいにしないことをモットーとした。10月には早くもコンビの名前を冠したテレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!』(『シャボン玉ホリデー』の後番組で、後に放送時間を変更の上で『シャボン玉ボンボン』に改題)に出演が決まり、芸能界デビューが冠スポンサーとなる幸運となるが、知名度の低さ、ネタの少なさもあり人気は低迷(いかりやはテレビのレギュラーが決まる前からそのことを危惧していた)。12月31日放送分で番組は打ち切りとなり、この時点で井山が脱退(失踪)。コンビはその後、自衛隊出身の福田正夫を相方に迎えるが、福田はそもそも芸能界志望ではなく、ネタ合わせも全く身が入らない有様で、結局自然消滅した。
※この「マックボンボン結成、消滅」の解説は、「志村けん」の解説の一部です。
「マックボンボン結成、消滅」を含む「志村けん」の記事については、「志村けん」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からマックボンボン結成、消滅を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からマックボンボン結成、消滅を検索
- マックボンボン結成、消滅のページへのリンク