マック・セネットとスターの座
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「ベン・ターピン」の記事における「マック・セネットとスターの座」の解説
1917年、ターピンは当時業界を主導していた、マック・セネットのキーストン・スタジオに加わった。ターピンの粗野な喜劇のスタイルは、セネットのスタイルに完全に合っていたため、セネット配下の脚本家達も奇天烈な容貌のターピンを、いかつい鉱夫や柔和な紳士、世慣れた恋人、逞しいカウボーイ、恐れ知らずのスタントマンなどといった役柄の引き立て役として起用し、喜劇的な効果を最大に高めようとした。1920年代を通じて、ターピンの演じる役柄は真面目な俳優や時の人のパロディーであることが多かった。例えば、ルドルフ・ヴァレンティノが演じた『シーク』(The Sheik)をもじった主人公「シュリーク」(Shriek、英語の「悲鳴」の意)をターピンが演じた『笑王ベン・タービン(英語版)』は、ターピンの喜劇の中でも最も人気を博したものの一つである。セネットの下でターピンが出演した映画には、短編だけでなく長編も含まれている。自身の成功を喜んだターピンは、「私はベン・ターピン。週に3,000ドル稼いでいる。」を自己紹介の文句にした。 1928年、セネットは新たに広まったトーキー映画に対応するため、自分の抱えるスタッフとの契約の大半を打ち切り、スタジオも再編のため閉鎖した。ターピンは、低予算映画を製作していたワイス・ブラザーズ・アートクラス社(Weiss Brothers-Artclass)と契約した。ターピンはそこで1年の間に2巻物の喜劇を製作したが、これらの作品は同社でそれまでに製作された映画の中でも最も野心的なものであろう。同社はターピンの外見の特徴から、Idle Eyes (虚ろな目)や The Eyes Have It(目は物語る)、といった文句で彼の作品を売り込んだ。
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