マクドナルド政権 (1924年、1929年-1935年)
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「労働党 (イギリス)」の記事における「マクドナルド政権 (1924年、1929年-1935年)」の解説
1924年にラムゼイ・マクドナルド党首がジョージ5世からの組閣要請で自由党の閣外協力で史上初の労働党政権の首相兼外相に就任するが、ジノヴィエフ書簡などの影響で同年の総選挙で敗北し、9ヵ月で退陣した。1929年、マクドナルドは第2次の労働党単独内閣を組閣する。1931年から1935年までは、ジョージ5世からの大命で労働党を除く挙国一致内閣の首相を彼が務めた。1931年には非常関税法を制定、インヴァーゴードン反乱によるポンド危機で金本位制を放棄し、通貨安競争を起こした。またウェストミンスター憲章を制定してイギリス連邦を発足させた。経済政策では恐慌対策で党の方針に反して離党し、1931年には非常関税法、1932年には保護関税法を制定し、スターリングブロック経済を構築した。外交面ではロンドン会議でロンドン海軍軍縮条約を成立させた。
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