ポルトガルの植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/16 14:51 UTC 版)
「アメリカ大陸の脱植民地化」の記事における「ポルトガルの植民地」の解説
ポルトガル王国の植民地はスペインとは異なり、細かく分かれてはいなかった。彼等が作り上げたカピタンス制はサルバドールの中央政権に臣従し、サルバドールはリスボンの王室に直接報告していた。このために「ポルトガル領アメリカ」と呼ぶのは希であり、当初から統一された植民地としてブラジルと呼ぶのが普通だった。ナポレオン戦争期には王室そのものがリスボンからリオデジャネイロへ遷都している。 この結果、ブラジルは1822年に独立したときも分裂しなかった。ブラジルが主権国家として最初の60年間は連邦共和国ではなく君主制を採用したことも、国の統一を維持することに貢献した。 ポルトガル国王ドン・ジョアン6世の息子ドン・ペドロ1世(ポルトガル王ペドロ4世)が1922年にブラジル帝国の独立を宣言し、初代皇帝になった。これはポルトガル王室からも平和的に認められたが、ポルトガル軍と市民の間で幾らかのゲリラ戦が起こった。ポルトガルはブラジルの独立をその3年後に賠償金付きで承認した。
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