ポルシェ・エントラント時代 (1970年~1971年)
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1970年はポルシェ (Dr. Ing. h.c. F. Porsche KG) と2年契約でポルシェ車でのメイクス国際選手権参加を受託した。両者が合意したのは前年9月であるが、JWAは最終契約に至らなかった場合の予防処置としてガルフミラージュ・M3のエンジンをGT40進化変型のコブラ302V-8ガーニーウェズレイク (Cobra 302 V-8 Gurney-Weslake) に替えたM4を計画し1台試作され11月に試走も行ったが、ポルシェとの契約が成立したため中止された。運用するポルシェ車はプロトタイプ・スポーツカーの908と公認生産スポーツカーの917である。前年にJWAが指摘した917の空力的欠点は、進化型エンジンフードを公認取得して是正されていた。この年のメイクス国際選手権には10戦参加して7勝を挙げ、JWAのそれだけでもポルシェの年間優勝に必要な得点を獲得しているが、ル・マン24時間は参加した3台の917が全て途中棄権し、優勝したのは他ポルシェ・エントラントの917であった。 1971年も同体制でレース参加し、メイクス国際選手権11戦中ポルシェ・エントラントでは最多の5勝を挙げ、ポルシェの年間優勝に最も貢献した。だがこの年もル・マン24時間は2位が最高位であり、優勝したのは他ポルシェ・エントラントの917であった。これでポルシェとの契約は終了した。 この2年間は自動車製造者の税制優遇処置を継続するため、フォーミュラ・フォードのミラージュ・M5の製造販売を行っていた。 ポルシェ・908 ポルシェ・917
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