ボリビア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:21 UTC 版)
ベネズエラでの事業が上手く行かなかったラミア航空は、ボリビアで保有する3機(自社所有1機)のリース事業を開始した。ボリビアでのリース先は塗装の変更は行わず、同名のラミア航空として営業が行われた。ラミア航空はボリビアでは2015年11月、サンタ・クルス・デ・ラ・シエラで設立され、ボリビア民間航空総局(英語版)からチャーター便の国内航空運送事業許可を取得しており、書類上は2015年7月31日に無制限の許可を得たとされていた。2016年4月の時点で、RJ85は95席の仕様で、炭化水素産業・鉱業、旅行代理店、サッカーチームを顧客として想定していた。サッカーチームとしては、アルゼンチン、ベネズエラ、ボリビアの代表、コロンビアのアトレティコ・ナシオナル、パラグアイのクルブ・オリンピア、ボリビアのオリエンテ・ペトロレロ、クルブ・ブルーミング、クルブ・レアル・ポトシ(英語版)、ザ・ストロンゲストが顧客となっていた。加えて、ボリビア鉱業冶金省(スペイン語版)も顧客であった。 2016年11月の時点で3機のアブロ RJ85を運航した。2016年11月28日に、アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウのメンバー、関係者を乗せたチャーター便が墜落した(ラミア航空2933便墜落事故)後、航空運送事業許可はボリビア民間航空総局によって停止された 。加えてボリビア労働・雇用・社会保障省(英語版)は、ラミア航空がボリビア政府に未登録であることを公表した。事故当時、ラミア航空には15人が在籍していた。事故の犠牲者にはパイロットでもあったオーナーのミゲル・アレハンドロ・キロガ・ムラカミ(Miguel Alejandro Quiroga Murakami)も含まれていた。
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