ボシュニャク人男性の行軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:07 UTC 版)
「スレブレニツァの虐殺」の記事における「ボシュニャク人男性の行軍」の解説
スレブレニツァでは、兵役年齢にある身体の健全な男子は、50キロメートル離れたボスニア政府支配地域のトゥズラまで、セルビア人勢力支配地域を徒歩で移動することを決定した。スレブレニツァへの攻撃が始まる前から既に住民らは疲弊し、食料や武器などあらゆるものが欠乏していた中、2日分の食料とわずかの武器をかき集め、ボシュニャク人の男性やその家族らは、トゥズラを目指すこととなった。行軍に参加した者の総数は1万人から1万5千人と見積もられ、このうちおよそ3分の1がボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(ARBiH)第28師団に属する軍人、残りの3分の2が民間人であったと見られる。夏の暑さによって多くのものが脱水状態に陥り、また3日目からは食料も不足し、食料と飲料の確保は困難を極めた。武器も不足しており、全体の3分の1を占めていた軍人の中でも武装していたのは1000人のみであった、あるいは猟銃などで武装するのみであったとの証言もある。スレブレニツァの周辺にはセルビア人勢力によって敷設された地雷原があり、安全を確保できた経路は人1人分の幅しかなかったため、隊列の長さは12キロメートルから15キロメートルにも及んだ。途中でなんどもセルビア人勢力からの攻撃を受けて多くの者が死傷しており、また攻撃や消耗、セルビア人側への投降などによって隊列から切り離された者の多くが後にスルプスカ共和国軍に捕らえられ、殺害されている。途中、錯乱を起こして仲間に襲いかかったり、自殺を図る者も多数あらわれた。行軍は6日間に及び、最終的にトゥズラまでたどり着くことができたのは全体の3分の1、4000人から6500人程度であった。
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