ボジェンツィとエタラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/18 16:09 UTC 版)
「ガブロヴォ州」の記事における「ボジェンツィとエタラ」の解説
ボジェンツィ(Боженци、Bozhentsi)は古い村の景観を保存した地区である。近くには屋外博物館「エタル建築民俗館」(Архитектурно-етнографски комплекс „Етър“、Etar Architectural-Ethnographic Complex、エタラ、Етъра、Etaraとして知られる)がある。エタラは人工的に再現された民族復興期の村であるが、谷間を流れる美しい渓流に沿って、金細工、皮革、刺繍などを行う職人町が再現されている。村にはレストランやカフェやパン屋などもあり、ロクム(ターキッシュ・デライト)などの甘味菓子を楽しむことができる。 エタラから南西に1時間程度歩いたところにはソコルスキ僧院(Sokolski Monastery)がある。オスマン帝国の支配下の時代には、帝国に対する反逆者をかくまい、1876年の抵抗運動の拠点となった。現在では、訪問者は少ないが、庭にはバラの木やイボタノキが茂る場所となっている。
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