ペルー海軍にて、パコーチャの終末
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「アトゥル (潜水艦)」の記事における「ペルー海軍にて、パコーチャの終末」の解説
ペルー海軍ではパコーチャ (BAP Pacocha, SS-48) の艦名で就役、14年間活動した。 1988年8月26日、パコーチャはカヤオ港外を南の方向に向けて航行していた。18時40分、20分前にカヤオ港から出航してきた三重県の遠洋マグロ漁船第8共和丸(412トン)はパコーチャからの汽笛を聞いた。その直後に赤い光を確認し舵を切ったものの、第8共和丸はパコーチャの左舷艦尾部分と衝突。パコーチャは40メートルほど航行したあと、36メートルの海底に沈没した。部下を救うためハッチを閉めたダニエル・ニエバ・ロドリゲス艦長以下8名が死亡・行方不明となり、生存者のうち22名は即座に脱出。残る23名は艦内に閉じ込められたものの、レスキューベルを使用して20時間後に救出された。アラン・ガルシア大統領は27日夜の会見で第8共和丸の判断ミスを示唆した。その後の裁判で「第8共和丸側に進路回避の義務があった」と第8共和丸側の過失を認め、1989年5月に第8共和丸の高級幹部に猶予つきの判決が下された。パコーチャは1989年7月23日に浮上後解体され、スペアパーツとして使用された。
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